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なぜビジョンは浸透しないのか?〜組織の「見えない壁」を乗り越える

「各部門から代表を集めた合宿までやったのに、そこで決めたビジョンがなかなか浸透しなくて…」という嘆きの声を耳にすることがあります。

しかし、よくよく話を聞くと、とくに決めたビジョンをどのように浸透させようとしているのかについてじっくり耳を傾けてみると、それでは浸透するわけがないことに気づいていないから、と思えることがあります。

なぜビジョンは浸透しないのか?

組織には性格が大きく異なる2つの側面があり、そこから生まれてくる「見えない壁」を乗り越えるための努力をしなければ、せっかく時間とコストをかけて決めたビジョンも現場に浸透しないんですね。

では、その2つの側面とはどのようなものなのでしょうか? どのように「見えない壁」が生まれ、これを乗り越えるためには何をする必要があるのでしょうか?

組織の2つの側面とは?

まず、組織が持つ2つの側面について考えてみましょう。

「グロービスMBA 組織と人材マネジメント」には、こんなことが書かれています。

社会には大きく共同体と人工的社会の2つの分類があるが、組織と人材のマネジメントを考えるに当たって、企業組織はその両方の特徴を合わせ持っていることを理解しておかなければならない。

社会の分類としての共同体とは、「メンバーになるかどうかを個人が決めることができない組織」で、人工的社会は、「何かの目的を追求するために人工的に構成された人為的社会」です(ゲマインシャフトとゲゼルシャフト!)。

「親子など家族を基本とする血縁社会」に代表される共同体は、企業組織の中には存在しないように思われますが、ここには「営利を追求する人工的社会である企業組織においても共同体的な性格は強く残っており、これを無視したマネジメントは成立しない」と書かれています。

人は「単純に経済合理性だけをルールとして行動する」わけではなく、「相互に協力」したり、「利他心から行動」したりすることがあるように、組織メンバーの「思考や行動は、感情によって左右される」ことから、「人間が他の人間と一緒の空間を共有し、行動を共にすることにより」、組織(つまり職場)には共同体としての側面が生まれてくるということなんですね。

2つの側面の「かみ合わせ」が「見えない壁」を生み出す

組織には、人工的社会と共同体という2つの側面がある

これ、一言でいえば、企業組織でも人と人が直接関わり合うところには共同体的な側面が生まれ、人が直接関わり合わない場面では人工的社会の側面が生まれてくる(というか必要になる)、ということです。

人と人が直接会って関わり合う場面では、自然発生的に役割分担ができたり、暗黙のルールがつくられて、なんとなく集団がまとまっていく。

でも、数名の立ち上げメンバーでやっているうちはよかったが、事業が拡大し、メンバーの数が30人を超え、50人を超えるようになると、直接関わり合うことのないメンバーの行動がバラバラにならないように、制度や仕組み、ルールをしっかりと取り決める必要が出てくる、みたいなこと。

では、ガッチリと細かく仕組みやルールを決めてしまえば、人と人は直接関わり合わなくてもいいのかというと、話はそう簡単ではありません。

コロナ禍でフルリモートになったら、いろいろ何かとやりにくいことが出てきた。

なんて状況は、2つの側面がまったく違う原理で動いていて、組織がうまく機能
するためには、その双方が必要になることを示しています。

どの部署の誰にでも当てはまる合理的で客観的な仕組みやルールがなければ、多くの人を集団として束ねることはできない。でも、人と人が関わり合う場面で納得感という感情に働きかけて、うまい具合に状況を微調整する暗黙のルールがなければ、部署ごとに異なるさまざまな状況の変化に対応できない。

育休が制度化されたけど、職場には育休を取りやすい雰囲気がない。

という状況を考えれば分かるように、2つの側面がうまくかみ合わない場合は制度の趣旨を職場に落とし込むことができません。また、職場によってはがんばっているところもあるが、全社的な制度の下支えがないので、取り組みが組織全体に広がらないという状況は、逆の意味で2つの側面のかみ合わせがうまくいっていません。

大きく性格が異なる組織の2つの側面がうまくかみ合っていないと、そこに「見えない壁」が生まれてしまうわけですね。

「見えない壁」はどのように生まれるのか?

これまでの話を念頭に置くと、「ビジョンが現場に浸透しない」という状況は組織の2つの側面が生み出す「見えない壁」を乗り越えることができていないところに原因があることが分かります。

各部門の代表が決めたビジョンとは、組織のあるべき姿をどの部署の誰にも当てはまるような分かりやすい言葉に置き換えたものです。しかしこれが「現場に浸透しない」場合は、職場という共同体の中で起きていること、そこに生まれる人と人との関わり合いやさまざまな感情に深く結びつける形で、その言葉を実感できていないということになります。

「見えない壁」がビジョンの浸透をはばんでいるんですね。

では、この壁を乗り越えるためには何が必要なのか?

ここで、組織文化について考えたことを思い出してください。

組織文化は、職場のさまざまな日常の細部(モノ・コトバの象徴的意味、人と人の関係、行動パターンの象徴的意味)に姿をあらわすとともに、そうした細部に接することによって、文化を生み出す暗黙知がつくられるという話でした。

ここで、「職場のさまざまな日常の細部」とは、職場という共同体の中での具体的な人との関わり合い、ということです。そう考えると、職場という共同体の中で誰と関わり、何をして、モノやコトバにどのような(象徴的な)意味が生まれるのかが組織文化を生み出すことになります。

しかし、こうした要素の中からモノやコトバだけを取りだして、「一緒の空間と行動を共有」していない人に示しても、そこに生まれる象徴的な意味を伝えることはできません。モノやコトバの背後にあるメンバーどうしの具体的な関わり合いを想像することができないからです。

なぜビジョンが浸透しないのか?

そう考えてみれば、ビジョンがなかなか浸透しない理由がよく分かってきます。

「各部門から代表を集めた合宿」を行うことを通じてビジョンを決めるプロセスとは、集められたメンバーが「一緒の空間と行動を共有」することによって、自分の職場のことを思い出し、これを他のメンバーが語るさまざまな職場の状況に重ね合わせ、どの部署の誰もが思い描くことができる象徴的な意味を生み出すプロセスなんですね。

しかしここで決まったビジョン(を語るコトバ)を単なるコトバとして各部門に伝えても、「一緒の空間と行動を共有」していないメンバーには、そこに象徴的な意味を読み取ることができない。

そのあたりの事情は、たとえば「最後まであきらめない」というコトバだけを見ると、「そりゃまあ大事だけど、なかなかむずかしいよね」と思ってしまいそうですが、その言葉が水泳の池江璃花子選手のものだと思ってみると(背後にあるさまざまな状況を知っているので)コトバの表面に示されていること以上のさまざまな意味を「深読み」できるようなものです。

「見えない壁」を乗り越えるには?

だとすれば、「見えない壁」を乗り越え、ビジョンを浸透させるために何をすべきかは明白です。

ビジョンとして語られる言葉は、職場という共同体で人と人が関わり合い、行動し、モノやコトバに生み出されたさまざまな象徴的意味をギュッと凝縮した干しシイタケのようなもの。

これを現場に浸透させるためには、水でもどしていいダシを取り、具材にしっかりと染みわたらせるように、職場のリーダーやマネジャーがビジョンに語られているコトバの意味を、それぞれの「職場のさまざまな日常の細部」に結びつけながら、職場ごとに異なるさまざまな状況という具材にダシを染みわたらせる必要があります。

時間とコストをかけた合宿から生まれたビジョンを現場に浸透させるためには、やはり同じくらいしっかりと手間暇をかけて、現場のリーダーやマネジャーにビジョンをコトコト煮込んでもらうことが大事なんですね。


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