「スター・ウォーズ 新たなる希望」を観て、あのころの未来のテクノロジーとフォースについて考えた
ローソンユナイテッドシネマのGW特別上映で観ることができなかった(チケットが早々と完売になっていた)ので、スターウォーズの第1作(エピソード4)「新たなる希望」をアマゾンプライムのレンタルで観た。
大昔と同じように、冒頭のテーマが響きはじめた途端に胸が高鳴るし、ライトセイバーがブォンと光れば「お〜っ!」という気になる。が、思わせぶりな台詞の背景にあるものがぜんぶ分かっているので、その昔に観たときよりも味わいが深い。
ダースベイダーといえば、つねにあのテーマで登場するような気になっていたけど、エピソード4ではまだ「帝国のマーチ」は使われていない。だから、登場シーンでちょっと小物に見えることに驚いたり。
もちろんいまからみるとVFXはチャチだけど、いろんなところで「すべてはここからはじまった感」を味わえるところが楽しい。
その一方で、いまでは当たり前のテクノロジーが、この時代に思い描かれた未来には登場していないところが面白い。
この映画に登場する機械はすべてボタンとレバーで操作されているし、二手に分かれたら、たがいに連絡を取り合う手段がない。
いまではヒト型のロボットがなくても、ピザの届け先の指示をスマホが翻訳してくれる。
というわけで、テクノロジーの進化という面でいえば、このエピソード4は、いまの当たり前があのころの未来のだいぶ先に立っていることを教えてくれる。
とはいえ、いま世界のいろんなところで起きている(ヒトの考えや行動から生まれる)あれやこれやを考えてみれば、「新たなる希望」に映し出された未来ほど進化していない、というか、むしろ退化しているように思えることもたくさんあることにも驚く。
そんな風に考えてみれば、ヒトがどのように考え、行動するのか、そこでフォースがどんな役割を果たし、どのようなきっかけで何がどのように悪い方向に向かうのかというスターウォーズの哲学的なテーマは、つねに古くて新しい問題なんだろうなと思った。