本についての雑記
物書きになりたいと子どもの頃から思っていた。子どもの頃といっても、具体的には、小学校高学年か中学校時代だったと思う。あの頃から、本が好きだった。
年を重ねる毎に、好きと現実との違いに気付いていくようになり、夢をみていた想いから、徐々に目を覚ましていった。ただ今でも、本は好きだ。
本を好きな理由はたくさんある。知識を身に付けられることや知らない世界を知れることが出来る。小説では、物語を味わえる。エッセイでは、人の考え方に共感したり、新しい視点を得ることが出来たりする。
無数にある本の好きなところ、魅力について、特に取り上げて語りたいことは、「没頭する」ことだ。
今でも、たくさんの本を読むが没頭する本に出会うことは、思いのほかに少ないと感じる。
没頭出来る本には、フィクション・ノンフィクションの垣根は無い。圧倒的な臨場感や没入感を体験出来る。
村上龍の「コインロッカーベイビーズ」では、主人公であるキクとハジの数奇な人生に飲み込まれ、角幡唯介の「極夜行」では、生死をかけて、暗闇の北極圏を踏破していく冒険家の息遣いを感じられる。
爪切男の「死にたい夜に限って」では、どうしようもない恋の話に胸を締め付けられ、ツチヤタカユキの「笑いのカイブツ」では、社会に馴染めずに、ただただ『お笑い』に生き、『お笑い』に死のうとする青年の人生をみることができる。
本を読むことで、私たちは物語を生きていることができる。時に、主人公として、時に、友人として、時に、語り手として。私たちは、現実を生きている分、それを補う「空想やファンタジー」が必要だ。現実だけではどうしても息が苦しくなってしまう。
本に感動したり、心を動かされるのは、いつかの自分をその文章の中に見つけるからだと思う。あの日の喜びを、過去の失敗を重ねて見てしまう。だからこそ、人は感動することが出来るのではないか。
私達の体と時間は悲しいことに有限である。
「一度きりの人生だから」と謳う文句もあるが、一度きりの人生だからこそ、人は慎重になるし、無茶な冒険もそこまで、おいそれとは出来ない。
しかし、本を読むことは出来る。物語が私達を極夜に、海底2万マイルに、あの日の夜に連れていってくれる。