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【衝撃】小説家になりたいなら、小説を読まないほうがいいのかもなぁ【経験談】

小説家になりたい人は多い。

そして小説家になりたい人間は、様々な努力を重ねている人が多い。

たくさん書き、たくさん読み、原稿を何度も手直ししては読み返す。

今回はその努力の一部である、「読む」ことに焦点を置いてみようと思う。


小説を読まなくても、僕は実績ができた


「小説家になりたければ、小説をたくさん読むべき」

これは昔から言われているのだと思う。

が、僕は最近、これが正しいとは思えなくなってきた。

僕は学生時代に小説家っぽい活動をしていた。
季刊誌に小説を掲載させてもらったり、連載させてもらったり、文学賞も受賞した。

その当時、僕は小説をほぼ読んだことがなかった。

きちんと読破した本は2冊。

太宰治の「人間失格」
七月隆文先生の「ぼくは明日、昨日のきみとデートする」

である。


その2冊しか読んだことがなかった。

そんな僕でも、小説を連載したり、文学賞を受賞できた。

小説を読まなくても、実績はできたのだ。


小説を読まなくてもいい書き手の特徴


さてさて。
小説を読まなくても実績ができた経験を話したが、書き手の全員が小説を読まなくてもいいわけではないと、僕は思う。


ここで、小説を読まなくてもいい書き手の特徴を挙げてみようと思う。
それが以下の通り。

小説を読まなくても、ある程度自分で小説を書くことができる人

である。


この特徴、多くの人が当てはまっていそうで、当てはまっていないことがほとんどである。

・小説を書いてみようと思ったら、全然手が動かない。
・そもそも、どうやって書いたらいいのか分からない。

みたいな事例が多いのだ。


だから、小説を読まなくても、ある程度小説を書けるという人はなかなか希少だと思う。上手い下手は別として。
(ちなみに僕は最初、めちゃくちゃ下手な文章を書いていた)


小説を読むと、自分らしい文体が消えるかも


僕は学生時代に小説を読むことはなかった。全くなかった。
書いている小説は他人に褒められることが多かった。


少し経ったころ。
僕は小説を娯楽としてではなく、創作のインプットとして読み始めた。


その結果、僕の書く小説が褒められなくなった。
ある日友人に小説を見せると、酷評を伝えられた。


「悪いところはないけど、これといって良いところもない」


それが友人の感想だった。

学生時代の僕の文章はとがっていた。
万人に理解されない文体ではあったが、自分らしい文体だった。

今でもそう思う。
僕はインプットの読書をたくさん行ったことで、自分らしい文章を失ったのかもしれない。


まとめ

今回書いた内容は、決して誰にでも当てはまるようなものではない。
あくまで僕が経験したことである。

基本的に小説家志望は小説を読んだほうがいい。
色々な人の文章に触れて、物語に触れて、そこから自分らしさを見出したほうがいい。

僕はたまたまそういうやり方ではなかっただけなのだ。

今回の話が参考になったら嬉しい。
それでは、また!

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