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【ダメ人間】大学?二回中退してるよ【体験談】
あなたは学校が好きですか?
僕は小・中・高、ずっと学校が嫌いでした。
嫌いというか、合わないというか。
規則を守って、人間関係を構築して、環境に適応する……。多分、それらの全てが僕は苦手だったのかもしれませんね。
今回は学校の中でも、「大学」に焦点を当てて書いていこうと思います。最初に言っておきますが、僕のダメ人間っぷりを文章に起こしました。かなり笑えると思います。(笑)
受験は失敗。通信制大学へ
高校三年生のとき。
僕の受験は全て失敗に終わりました。
高校生時代は文芸部の部長を務め、小説を書く生活をずっと送っていたので、大学は文学部を志望していました。
が、受験は全て失敗に終わります。どこも受かりませんでした。勉強は嫌いではなかったのですが、圧倒的に手数が足りてませんでしたね。それが敗因です。努力不足です、はい。
地元のFラン大学の進学を担任に勧められましたが、その大学は情報系の学部しかなかったので、「自分の学びたいことはない」と、受験はしませんでした。
そのとき、特に浪人をしようとかいう考えはありませんでした。また、就職をしようとも思いませんでしたね。今思えば、なにを考えていたんだろう……?
とりあえず就職しようという気持ちがないのだから、進学するべきなのだなと、ふと思いました。
そこで浮かんだ進路が「通信制大学」でした。公表してしまうと、僕は「放送大学」に進学を決めたのです。
出願時にはなぜか、「心理と教育コース」の専攻を決めました。いや、文学部志望だった僕はどこにいったんだ?
というのも、放送大学には「文学部」という括りはないのです。教養学部という一つの学部の中に、6つのコースがあります。その中にある心理と教育コースに決めたわけですね。
心理と教育コースに決めたのは、あんまり理由はなかったと思います。強いて言うなら、「放送大学は心理学が強い」という記事をどこかで読んだからだと記憶しています。
通信制大学を一年で辞める
放送大学に入りましたが、履修登録の時点で僕はダメ人間っぷりを発揮しました。
「何科目取ればいいんだ?」
そう思ったんです。今思えば、卒業に必要な単位数から逆算して、計画的な履修登録をすればよかったんですよね。
そうやって考える頭が皆無だった僕は、たったの二科目だけを登録したのです。アホです。バカです。
放送大学は基本的に自分で学習をします。面接授業という形態を除けば、教科書を使って自力で学習をするのです。そして、履修した科目の数だけ試験を受け、合格すると単位がもらえます。
だから僕は二科目だけを家で勉強していました。
もう一度言いますが、本当にアホです。
試験は無事に合格して単位がもらえました。4単位。
二科目しか受験していないのだから受かって当たり前です。これで落ちてたら本当にやばい。
それからは堕落しました。途端に大学での勉強が面倒くさくなったんですね。家でずっとゴロゴロしていました。
肩書は大学生ではあるけれど、ずっと家で過ごす。半分ニートの出来上がりです。
「なにしてんだろう、僕は」
家でゴロゴロしているとそう思いました。大学というものを理解しないまま、僕は放送大学を退学しました。さよなら、僕の4単位。
就職をしたけど……
僕の過去の記事を読んでくださった方なら知っていると思いますが、僕は精神障害を患っています。統合失調症ですね。
カテゴリー的には障がい者なので、障がい者雇用で就職を考えました。
まだ22歳という若さがあったので、就職はすぐに決まりました。地元のショッピングモールですね。
が、僕はそこを一週間で辞めました。
レジ業務がどうしてもできなかったんです。覚えることは多いし、スピードを求められるし。
自分は無能だったことを知るわけですね。いやまあ、放送大学の一件の時点でそれは薄々分かっていましたが。
慶応義塾大学の通信教育課程へ入学
しばらくニートをしながら、未来のことを考えました。
「ああ、本当にどうしようかな。これから」
スマートフォンで「ニート 人生 終わり」みたいなことを調べては、落胆する時間を送っていました。
父親にそのことを相談してみると、
「どこかに所属しているといいのかもな」
と、言われたのです。安直で単純な僕の頭の中には、「もう一度大学に入り直そう」という考えが浮かびました。既に放送大学で失敗しているのに。
そこからは早かったです。
大学に入り直そうとは思いましたが、学力がない。そこで小論文だけで合否を判断する慶應義塾大学の通信教育課程を見つけ出しました。
文章を書くことは昔から得意だったので、すぐに願書を出し、小論文を書きました。すると、合格。
「晴れて、自分も慶應生だ!」
そうやって意気込んでいました。
退学ライフ、再び
慶應の通信へ入学して、一週間が経った頃。
友達の知り合いが経営している会社に、僕が呼ばれました。
「うちの会社に入ってほしい」
僕はその頃、プログラミングを独学し、ホームページや簡単なアプリケーションくらいなら作れるスキルを持っていました。
それで呼ばれたらしいです。いやぁ、驚き驚き。
その会社に半分お手伝いのような形で入社し、少しばかりの給料をもらいながら、仕事をする日々が始まりました。
お忘れではないですよね?
そうです。僕は慶應の通信に入学しているんです。
そのうち、だんだんと、仕事をしている日々のほうが楽しくなってきました。
結果、慶應の通信を辞めました。
ついでに言うと、その数か月後、会社も辞めています。
終わりに
僕は結果、大学を二回辞めているわけです。
これは誇れることではありません。何事もやり遂げることが大事なんですから。僕は恥ずかしい人間です。
ですが、このような自分の人生があるからこそ、こういうnoteが書けることもまた事実です。
人生は面白いですね。
今回はここまでとします。
最後まで読んでくださりありがとうございました!
それでは、また!!!