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~第115回~「氷川丸の話」

東京オリンピック・パラリンピックの準備や運営を担ってきた大会組織委員会が6月30日に解散しました。 現在、横浜の山下公園に係留される「日本郵船 氷川丸(以下氷川丸)」は、その名の通り武蔵一宮氷川神社から名付けられた船ですが、日本のオリンピックの歴史に関わる船でもあります。


氷川丸は昭和5年(1930)、横浜船渠株式会社(現 三菱重工業株式会社横浜製作所)で竣工しました。

氷川神社の神紋である八雲紋が船内装飾でも使われておりますし、操舵室の神棚には氷川神社の御祭神が祀られております。

現役で運航していた11年の間に、太平洋を146回横断、約1万人が乗船しました。

その中に、東京での五輪実現の夢を抱いて乗船した講道館柔道の創始者・嘉納治五郎がいました。

嘉納治五郎は1938(昭和13)年3月、エジプトのカイロで開かれたICO総会(オリンピック会議)に出席し、4月22日にバンクーバーから氷川丸に乗船しました。

その帰国途上の5月4日(横浜到着の2日前)、氷川丸の船内で肺炎により死去。

遺体は氷詰にして持ち帰られ、横浜港では棺にオリンピック旗をかけられて船から降ろされました。 当時、ニューヨーク・ヘラルド・トリビューン紙は「日本のオリンピック代表 嘉納博士逝去す」との見出しとともに写真入りで訃報を掲載したそうです(2018年4月3日付産経新聞より)。 「オリンピックの開催は政治的な状況などの影響を受けるべきではない」と訴えた嘉納の夢であった当時の東京五輪は戦争の影響を受け実現しませんでしたが、時を経て昭和39年(1964)の東京五輪、そして昨年の東京2020五輪が実現しました。

嘉納が抱いた夢を日本に持ち帰ってきてくれた氷川丸もまた、東京五輪を陰で支えた存在です。

〔 Word : Keiko Yamasaki Photo : Hiroyuki Kudoh 〕

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