~第170回~「危機を乗り越えてきた氷川丸」
日本では古くから海上交通の安全を祈願するため、船に神様を祀るという祈りの心がありました。
それは過去の話ではなく、現在も大切にされている心です。
氷川神社の神様が祀られている船もあり、今回はそのうちの一つ、氷川丸について。 横浜・山下公園にある港町横浜のシンボル・氷川丸。
その名の通り武蔵一宮氷川神社と関わりがある船で、神棚に祀られる御祭神を氷川神社より勧請していることにちなみます。
また、船内装飾には武蔵一宮氷川神社の神紋である「八雲」が用いられています。 昭和5年(1930)に太平洋航路就航のため誕生した氷川丸は、全長163.3m、幅20.1m、総トン数11,622トン、最高速力18.38ノット、乗務員147名、船客数286名という大型客船です。
就航当時、一等客室は太平洋航路往復で1000円ほど。
これは当時では家一軒建つ金額で、いかに豪華客船だったかが伺えます。
その後、戦時中は表面を白く塗り替えられ病院船としても活躍した氷川丸は、戦後は引き揚げ船や国内就航、そして再び国際船としても活躍しました。
昭和35年(1960)に運行を終え、現在の場所に保存船として係留され、今に至ります。 係留までの道のりは決して穏やかなものではありませんでした。
実は、氷川丸は数々の危機を乗り越えた事から強運の船とも言われています。
危機とは戦時中の3度の触雷、戦闘機からの銃撃、潜水艦との遭遇から生き延びた事、敗戦後に戦後賠償として差し押さえになりそうになった事からも由来します。
最後の航海の後にも解体してスクラップされる可能性がありましたが、当時の神奈川県知事や横浜市長から青少年の海事海洋思想普及の為にと要請があり、昭和36年(1961)から現在のように山下公園に係留され一般公開される事になったのです。 神棚から氷川丸を護ってきた武蔵一宮氷川神社の御祭神、氷川丸を大事に支えてきた関係者の皆様、船を楽しみにしてきた乗客の皆様…すべての想いが氷川丸を危機から護ってきたのかもしれませんね。 日本の未来を支えるお子さんたちは夏休み真っ最中。
ぜひ氷川丸を見ていただければ幸いです。
〔 Word : Keiko Yamasaki Photo : Hiroyuki Kudoh 〕
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