~第225回~「蛍と武蔵一宮氷川神社 ①鉄道とのご縁」
大宮は「鉄道の街」としても知られている地域。
この鉄道、実は大宮の蛍と深い関わりがあります。
そもそも大宮と蛍との関わりも古く、例えば大宮には戦国時代から伝わる伝説があります。
武蔵一宮氷川神社と大宮公園の北東に位置する寿能城(今は城址)での戦で悲しい最期を迎えたお姫様が、見沼の竜神の力で蛍の姿を借りて生き続けた伝説です。
そして明治時代以降、大宮は蛍の名所として人気を集めるようになりました。
その様子は「ホタル出盛りの土日には上野と大宮の両駅は子供連れの客で花見時並みに大混雑した」と当時の新聞(大正9年6月15日付読売新聞)が記しているほどです。
特に明治20年代から30年代は大宮の旅館などの誘客営業が功を奏したこともあり、鉄道は東京から大宮へホタル見物に向かう人々を多く運びました。
この時期というのは、大宮の鉄道の歴史そのものでもあります。
明治16年に日本初の私設鉄道である日本鉄道会社が上野―熊谷線の営業を開始したものの、当時、大宮に駅は設置されませんでした。
大宮駅が開設されたのは明治18年からで、さらに大宮駅開設4か月後には大宮―宇都宮間が開業し、大宮駅が日本鉄道第一区線(東京―前橋)と第二区線(第一区線から白河まで)の分岐点となり、鉄道交通の拠点地として成長していきます。
その結果、鉄道で大宮に来る人が増え、大宮の蛍が知られるようになり、蛍の名所として人気を集めるようになったのです。
鉄道と蛍。
いずれも大宮の歴史を語る上で欠かせない存在ですね。
〔 Word : Keiko Yamasaki Photo : Hiroyuki Kudoh 〕
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