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~第162回 ~「須佐之男命への信仰の話」
全国の多くの神社では、6月と12月の晦日に心身のケガレ、罪や過ちを祓い清める「大祓」の神事が行われます。
特に6月(地域によっては7月)の夏越の大祓では神社に大きな茅の輪が作られ、人々がその輪をくぐることで罪穢れを落とす「茅の輪くぐり」が有名です(※武蔵一宮氷川神社の夏越の大祓は6月30日)。
この茅の輪は武蔵一宮氷川神社の主祭神である須佐之男命に由来します。
須佐之男命は疫病を防ぐ神として民間で広く信仰されました。
それは須佐之男命と習合した神仏習合の神様である牛頭天王への信仰でもあり、例えば山車で有名な京都・八坂神社の祇園祭も、元は牛頭天王の祭礼です。
この牛頭天王に対する信仰は「祇園信仰」といい、平安時代・貞観11年(869年)6月14日に行った祇園御霊会がきっかけで定着したものですが、それ以前から須佐之男命は信仰を集めていました。
例えば、豊臣秀吉によって大阪城鬼門鎮護の社と定められた片埜神社(大阪府枚方市)。
片埜神社は江戸時代までは「一宮牛頭天王」と呼ばれておりました。
そもそも片埜神社は、出雲の豪族・野見宿禰が第11代垂仁天皇の命令で当麻蹴速と相撲を取って勝ったことにより天皇から賜った土地に、出雲の祖神である須佐之男命を祀り一族(土師氏)の鎮守としたもの。
時代がくだり、須佐之男命と牛頭天王が同一視されたため「一宮牛頭天王」と呼ばれたというわけです。
この野見宿禰は相撲の祖と知られ、それまで行われていた殉死の風習に代わる埴輪の制を作った古代豪族です。
その11代垂仁天皇の御代は3世紀後半から4世紀前半ごろなので、古代にはすでに須佐之男命が信仰されていたことがうかがえますね。
〔 Word : Keiko Yamasaki Photo : Hiroyuki Kudoh 〕
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