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晩秋の京都光悦寺で考えたこと/一日一微発見177

本阿弥光悦が死んだのは1637年だから、すでに400年近く前のことだ。
時は桃山時代から徳川時代であり、そう思うと実に隔世の感がある。

歴史とは、不思議な物語であり、過去がなければ「今・ここ」の我々の生もないのだが、歴史を実感するのはたやすいことではない。

書物による情報に頼っていても、実感には程遠い。まして文字は後世につくり直せるものだから、はなから怪しい。

ならばその「場所」に行くしかないと思われる。ただし、400年も経てば風景すらも変容しているから、よほど自分の感度を上げておかなくては、何も共振してはくれないだろう。

晩秋の鷹ヶ峰光悦寺にやってきた。

今年はコロナで海外へは行けないから、時折、我慢ができなくて衝動的に移動したくなる。

この寺は、元は光悦の住居だったところが日蓮宗の寺となり、境内には、いくつもの茶室が配置されている。その参道は紅葉で有名であり、秋には観光客が絶えない。

やってきたのはもう紅葉も終わるというころで、閑散としていて、静かな気持ちになりに来た身には、逆にありがたい。

庭の植物たちの葉は、緑から赤へ、そして赤から銅色へと移行していて、紅葉を目当てに来た人はがっかりするかもしれないが、僕のような変人にはとても味わい深く見える。

そこには言葉では言い当てられない無数の赤のバリエーションがあるからだ。

太陽がオレンジ色に対し、植物の大半はその補色である緑になるのは、地球の単純にして大いなる神秘であり、その緑が枯れるにつれて、赤にシフトしていき朽ちていくのも、またさらなる神秘だと思われ、味わい深い。

大きくはないが迷路のような庭をゆっくり散策するのは、飽きることがない愉しい時である。
この庭には学生時代から数えるともう10回ぐらい来ていると思うが、
これは「光悦の墓参り」に導かれているのだということに、今日やっと気がついた。

紅葉だ庭だ茶室だと言っているのはうわべの話で、振り返ってみると、実は光悦の墓参りにやってきているのであった。

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