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今日は、京都と美術についての本音を語ろう/一日一微発見327

今は誕生日で京都にいる。毎年、送り火(大文字)を見ることを恒例にするようになってなんと50年近くになってしまった(ありえない、驚き!!)。

僕は大阪生まれだが、10代の終わりごろから京都へ逃げるようにやってきた。やってきた場所は、70年代初頭でまだ学生運動やヒッピーカルチャーの残り日があると同時に、衰弱したとはいえ「みやこ」が住人たちに染み込んだ町だった。

革命ごっことカチカチの伝統の矛盾体、アマルガムが実に魅力的なモザイクを作り出していたのだ。

簡単に言えば、京都は博物館の中で人々が生活している場所である。それは半世紀の間、うち外から目撃してきたが、そのあと日本中を旅したが(全県制覇)、そんな場所は他になかった。
京都は東京や大阪のような都市ではないが、都市なのだ。地方都市では全くない。

京都に憧れる人は、戦国時代から多くいた。
天皇を頂いて、この「はんなり」した町に混じり合うこと。それを足利も織田も秀吉も上京を夢にしたのである。
いまもその名残はおぼろげながらも、京都の町のインフラになっている。

昨年まで西陣の街やを借りていたが、そこは秀吉の居城であった聚楽第の遺構の上であった。
もちろん中立売智恵光院の町は、それ以外のさまざまな時代のレイヤーの上にも成り立っていて、そしてモザイクなその舞台の上で、スーパーに買い物に行ったり、居酒屋に寄ったりという暮らしがある。

京都の町と付き合うのは厄介であり、かつ快楽である。ここに住むとは一体なんなのか?

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