パウル・クレーとヘルマン・ヘッセと。庭をめぐるアート/一日一微発見353
細野晴臣は、高校生ぐらいから僕にとって「灯台」のような人であり続けている。いつも「未来」というか先を照らしてくれているということだ。
ふっと昔に自分が書いた文章を読み直してみたら、細野さんのコトバを引用していた。
「人の一生というのは円を描いて元いたような場所に戻ってくるものだということがよくわかった。ただし同じ場所に戻ってきたようでありながら、実はそうではなく、遥か彼方にいるのだという気持ちも強い」
(細野晴臣『アンビエント・トライヴァー」の中の「気がついたらここまで来ていた」より)
すべては円環に。
でもそれは同じように見えて、実は「彼方」であると細野さんは書いていた。
それは禅の達観みたいにも思えるが、僕はこれは人間も宇宙の法則に属していて、その法則というのは「サイクル」ということだと思っている。
水滴が自らの張力で丸くなるように、 断線ではなく丸は宇宙の調和的な形状なのだろう。
細野さんの言うように、みごとのな人生は宇宙の法則のように、円を描くのだろう。
しかし、それは達観の域だとしたら、反面、退屈かもしれない。悟りなんて苦手だ。
真理とは退屈であり、一方で不安定は苦脳という名のアバンチュールである。
ここから先は
1,599字
¥ 150
応援よろしくね~