フィクションの効用の季節がやってきた/一日一微発見184
僕は毎年末、奈良の神社や寺を巡礼し、行きつけの呑み屋で早い時間からのむ。
身も心もきれいさっぱり清浄化されて、そして酔うことができるは、小さな極楽境である。
したたか呑んだ後、小さな商店街を歩いてホテルに戻るのだが、一軒の古書店があって、いつも寄って1冊2冊と買ってしまう。別に予定も期待もないのに。今年はベルトランとランボーとロートレアモンの翻訳が1冊になった立派な本を見つけた。驚いたことに200円だった。
ここでランボーに出会うとはこれいかに、であるがこれも出会いの宿命である。
ホテルに戻り、さっそく「ある地獄の一季節」を拾い読みする。何年ぶりだろう。
ある「地獄」に身を置くことは、想像力を発揮させるに有効な方法だ。無頼派やジャンキーなども同じである。
人間は自分の分才や、DNAという「お釈迦様」の手のひらからカンタンに外には出られないのだから、逸脱やとんでもないインスピレーションに恵まれる事は、小さな奇跡である。
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