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埼玉県飯能にある「生活の木」のハーブガーデンからエキナセアの大量引越し(仮の家の庭)/一日一微発見471

ガーデニングに熱中する人は、誰もがそうだと思うが、他人の庭が気になる。もちろん僕もその1人で、植物が機嫌よく生えて美しい花を咲かせている場所は、路地であれフラワーパーク
であれ関係なく気になるのだ。

しかし重要なのは、それを参考にしたいと思っても、「マイクロな環境」が違うと、同じ植物であっても、同じようには育ってはくれない。花も咲かない。美しいお手本は、あまりお手本になってくれない。

僕の庭は、浜名湖に面した「仮の家」の庭であって、北海道や信州の涼しい庭ではない。夏の高温多湿は想像以上で、ガーテンセンターやオンラインで手に入れた植物の苗がうまく育つかどうかは、いつもやってみないとわからない。

セルリア・プリティピンクは最初はうまくいっても2度ダメ。デレク・ジャーマンが愛したレッドバレリアンは、イタリアに行ったら線路ぞいに雑草化していたが、うちでは夏を越えられない。アカンサスも花が咲くようになったが、やはり酷暑の日なたはムリで、最近は奥のクヌギの木の下の日陰ゾーンに植えるようにした。
一昨年言ったポルトガルのセラルベス美術館では、いやというほどアカンサスが繁茂していて、本当にうらやましかった。

「仮の家」の庭は、最初からプロのガーデナーをサポートに頼まないようにしている。だから試行錯誤のスローペースである。それ故に大変だが、大変ゆえに面白い。

家のサイドにある庭は、フロントや左サイドの樹木たち(アカシア、オオデマリ、バラなど)とちがって、もっとワイルドなイメージの場所にしたいと、いつも思っている。

水やりや管理がむづかしいエリアで、今年の春はオリエンタルポピーや矢車草がきれいだったが、大きくなりすぎて、コントロールできなかった。
さて来年はどうするか?

そんな折に、とんでもない話が知人からまいこんできた。それは、6月にヨーロッパに行っている旅の最中だった。

原宿をはじめ全国でアロマオイルなどを販売している「生活の木」が、埼玉飯能で大きなハーブガーデンをやっていたのだが、10月で閉園されることになったという。
30年近く運営されたハーブ園。地元の人たちにも愛され、楽しまれていた場所が更地にされるというのだ。諸事情により、地主に返却しなければなくなった。

その事情を、通りすがりの僕がとやかく言える立場ではないが、そこに植わっていた植物は廃棄されるのはいたたまれなかった。

唖然とする話だ。だが植物のためにできることは何か考えた。植物はモノではない。生き物で、なおかつ宿根草や花木は毎年生長し続ける。30年近くにわたり生き続けてきたものたちの命を、人間様の事情で廃棄してよいものではない。

超偶然だが、たまたま僕はそのハーブ園の近くのメッツァで新たにハイパーミュージアム飯能のプロジェクトを進めていたから、縁が繋がって、結果的に多くの植物たちがそこに移植されることになった(よかった、よかった。)
そしてまた、僕の「仮の家」にも、そこで育成されていた植物たちを移植することになったのである。

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