僕たちは編集しながら生きている/僕たちは編集しながら生きている 1
※このマガジンは、後藤繁雄が1996年から続けている「スーパースクール」のスクーリングの内容をもとに、2004年に初版出版された「僕たちは編集しながら生きている」の文章を加筆修正し、2010年に出版した「僕たちは編集しながら生きている・増補新版」の文章をそのまま掲載しています。年代やプロジェクト、事例はその当時のままとなり、現在は行われていないものもあります。
※別ページでの解説、「注釈欄」はこのマガジンでは省略します
※このマガジンに使われているスクーリングの内容をアップデイトした形で、現在も「スーパースクール」は、DMMオンラインサロンを利用した東京スクーリングと、浜松スクーリングを開催しています。詳細は、後藤繁雄のHPをご覧ください。
01 あなたの隠れた才能がおもしろいということ
このスーパースクールは始めてからもう8年目になります。規模としては、1クラス30人ぐらいですから、大きくはありません。
一学期70人ぐらいのときもあったんですが、やってみると、30人くらいが一緒に何かやっていく上での最適な数なんだなぁと気が付いて、それ以後はこの規模でやっています。まがりなりにも「スクール」と名付けているにしては、小規模だなと思うのですが、逆に少人数でやれることのコアをつくる方がリアルな作業だし、そのことをきちんとやっていく方が、 次の事態をつくり出していけるんですね。
ただたくさんの人に、一方的に、たれ流し的に、情報や技術を教えたりすることは、もう意味がない。そのことは、紙のメディアでも、ウェブでも、同じだと思います。
さて、このスーパースクールというのは、基本的には「編集」の学校ということを看板に掲げています。だから集まってくる人は、編集の実際の仕事を覚えたいという人もいるし、編集という考え方やノウハウを自分のやっている分野や生活に活かしたいという人もいる。
だから、僕は僕で、単に「編集者になるためのスクール」という風に狭く限定するのではなくて、より「生きた世界」に対して開かれた編集が、どうあり得るのか、毎年毎年、スクールを続ける度にそんな確信が強くなっていったんです。
スーパースクールには、社会人もいれば、学生もいます。どちらかというと社会人の方が多いでしょうか。
僕は、編集者としての仕事の現場を学生時代から過ごしてきましたが、人前で編集について教えようと思ってやってきた人間ではありません。 最近でこそ、 美術大学で教えたりもしていますが、今までの教え方とはまったく違っているみたいなんですね(笑)。
人に教えるメソッドというか、いや、それ以前に、人にものを教えられる人間かどうかということも、よくわからず始めたから、本当に無手勝つ流なんでしょうね。
人に何かを教えるということそのものにも、初めは疑問があったんです。今、僕はこんな風に、高いところからしゃべっているけれども、そういうこと自体が本当は性に合わない。だいたい、僕自身学生の頃は、台の上でしゃべっている人が嫌いでしたから。
社会には、いろんな現場があります。商業、同好会、ボランティア…いろんな現場に関わってきてみて、「学校」という現場もリセットしたら、これほどおもしろいところはないのではないかと思ったんです。
スーパースクールを始めた動機はシンプルなものでした。
「教育」とか「カルチャースクール」というメソッドではなく、最初から「ワークショップ」という言い方で始めました。
「教育」というよりも、 共に何か作り出す、という意味でのワークショップ。そのスタイルをどうやればとれるのかとすごく考えていたし、挑戦したかった。だから、今から始まる「授業」も、途中から、これは教室なのか何なのかわからなくなって、怒られるかもしれません。「何も教えてないじゃないか」と怒られたり、 辞めていく人もいるんじゃないかって、正直言って心配になるときもある(笑)。
毎年、 スーパースクールをスタートさせるときに思うのは、人には「それぞれの幸せ」みたいなものがあるので、そのことをちゃんと考えながらやっていこうってことですね。
一方的に僕が教えるというよりも、集まった人たちのしていることや、内側にある才能みたいなものをおもしろがりながら、自分の才能をすごいと思ってもらいたい。
「おもしろい人じゃないですか、あなたは。こうした方がいいんじゃないですか」。そうやって、思いも掛けないものが顔を出してくる瞬間に立ち合うことに、僕は関心があるんです。
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