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手塚治虫における「滅亡」のテーマをめぐって/一日一微発見322
仕事のすき間をぬって『手塚治虫漫画全集』400冊の読破に挑戦している。
『ゼロマン』を読み初期の『来るべき世界』や『メトロポリス』を読み終えて、短篇を集めた『地球の悪魔』にとりかかっているところだ。
僕は典型的な手塚治虫のマンガで育った世代で、小学生の時に『鉄腕アトム』や『白いパイロット』を読みふけって、ノートにマンガをかきうつした。
だから今でも手塚マンガを読むと体の中に刷り込まれたものがムクムクと動き出す。
『ゼロマン』はしっぽのあるリッキーが主人公のお話だ。大長篇であり、手塚の頭の中、原型を知ることができる重要作である。
ゼロマンは人間ではなく、リスから進化した高等生物で、ヒマラヤの地下にずっと潜んでいる。人間の混乱のタイミングを見て、地球の支配に乗り出そうとしているのだ。
初期の大作『来たるべき世界』もそうだが、かならず人間が戦争(人間同士もあれば異質な種との対決もある)などにより滅亡するという強いオブセッションに手塚がとりつかれていることがよくわかる。
もちろんそれは第二次世界大戦が彼に与えた絶望感や広島の原爆などからの反映と言うことはたやすいだろう。
しかしそれは平和の時代が到来して、手塚が評価されても拭うことのできないニヒリズム、人間の中にある解決しがたい宿業、もっと言えば生命がもつ矛盾の本質を示していると思う。
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