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ウェイド・ガイトンを通して「絵画戦略」について考える/一日一微発見477
表参道のエスパス・ルイヴィトンでウェイド・ガイトンの個展「THIRTEEN PAINTINGS」を見た。彼は執拗に自らのプリント出力作品を「ペインティング」と言うが、僕はこれを躊躇うことなく、「ピクチャー」(あるいはハイパーピクチャー)と呼びたいと考えている。
彼の「ピクチャー」は、この6月にバイエラーファウンデーションのコレクション展(実に奇妙な)でも見た(重ねられていて一枚ずつは見れなかったが)。昨年、クンストムゼウムバーゼルの別館でも「X」を見た。彼の「ピクチャー」は年々世界中の現代美術館に着々と増殖しているのである。
ガイトンは、2012年のホィットニー美術館の個展で大ブレイクして、アートワールドの前線に躍り出た。オークションプライスも10億円となり、このルイヴィトンでの作品も一点は100万ドル平均はするだろう。
昨年は(見たかったが)、NYのマシューマークスギャラリーの個展では、ちょっとした物議をかもしていた。それは作品の全てが、ギャラリーの中央に金属製の衣料店のストックヤードにある架台に取り付けられていたからだ。自らの作品を商品扱いする。彼の評価は批評的にもマーケット的にも実に高いが、彼自身は、自らの置かれた立場への批評的な言及性(皮肉なポーズ)を忘れはしない。
エスパス・ルイヴィトンでの13点の作品は、それぞれがエプソンのインクジェットプリンターを使った「ピクチャー」であったが、その一つ一つを見ていると、そこでなされていること、そのモノの意味の複雑さに当惑する。
それは多くの人がガイトンの作品を言語化する時に発生する当惑なのだ。
僕は、はっきりと彼の所業は「ポスト・ペインティング」、僕の言うところの「ハイパーピクチャーズ」の基本型だと言いたいのだが、それをすんなりは説明することは簡単ではない。
なぜならば、いくつもの、彼が選択する、交叉する戦略的な文脈を説明しなくてはならないし、「メタ絵画」だとかのコトバを持ち出してざっくり説明するなんて、陳腐すぎる。
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