ハイパーミュージアムという名の新美術館の館長をやります/一日一微発見470
「ハイパーミュージアム」という名前をつけた。
10月10日には、ティザーサイトも立ち上がった。オフィシャルなSNSも始まる。
https://www.instagram.com/hypermuseumhanno
「ハイパー」とは「超える」という意味だ。すでに美術館の建物やスペースやシステムがあるわけでもないし、すでにある建物をリノベして活用するところからのスタートで、運営も民間である。
だから立派なインスティチューショナルな施設ではない。コンセプトやヴィジョンや戦略がなければ、ただのスペースでしかないのだ。
想像してほしい。例えば大学の教室を卒展にあわせて、仮設の壁を作って、一時的にギャラリースペースにしたりする。商業ビルの空きスペースを、アート展の場所にする。
美術展用に計画されていないスペースを、アート展や芸術祭やアートフェアのスペースとして使うことは、もはやあたり前になった。
その前提にあるのは、近現代のスペースの特徴は、「ユニヴァーサルな性格」つまり汎用性である。
それをもっと言いかえれば、スペースはメディアになっているということだ。その潜在性がある。今では、そのパラダイムシフトが社会に浸透して、お寺や宮殿みたいなクラシカルなスペースだってアート展示に使ったり。民家みたいなヴァナギュラな空間だって、平気でアート展示のスペースとして使うことが受け入れられるようになった。
逆にいえば、キュレトリアルの戦略、ディスコースの作り方、コンセプトやヴィジョン、そしてアーティストたちとの協業、コンテンツがあれば、スペースに関係なく「アートの場」を立ち上げ、形成することができるようになったということだ。
そして現在のようにマスメディアではなく、SNSのような情報発信のインフラが有効になった時代には、「アートの場」のつくり方も、もっともっと急速に変容していく。
交通の便が良いと悪いとか、スペースの規模に左右されず、ヴァーチャルとリアルを組み合わせた有効なスペース戦略が可能になる。
美術館を立ち上げる。さあ、どうするか。
僕は美術大学で長く教えてきたが、教授(学課長)になった時にも、それまでに、大学で先生をやった経験は全くなかった。つまりは、教えながら学び、先生というものになったのである。それは美術教師になるという以上に、アートの開発者になる意識の方が強かったと思う。
古い教育を踏襲するのではなく、新しい教育を発明すれば良いのだと。
その態度は、僕においては、編集や広告ディレクションの仕事においてもすべて同じ。「独学」でやってきた。大きな企業や組織でスキルを収得したわけではない。一貫して、「泳ぎながら泳ぎをおぼえる」というやり方だ。
僕が生きてきた世界は、「編集の時代」だと痛感する。特定の宗教やイデオロギーや権力が圧倒的な力をもつ時代は終わり、すべてが「組み合せ」によってできあがる時代。もっといえばどのジャンルにおいても「再編」「再生」「から
「新生」にむかうことがメソッドとして当たり前なのだ。
僕は以前、『僕たちは編集しながら生きている』というタイトルの本を出したが、まさにそのとおり。
なおかつ、資本主義という高速道路に乗っているから、「表層」(うわベ)の時代にどうサヴァイヴァルできるかも課題だ。
もう「本物」や「悟り」なんてめざしていられない。アートにおいても、マルセル・デュシャルがルールを壊して、アンディ・ウォーホルのポップアートの出現につながっていったように、アーティスト、いや人間そのものが変成してしまった時代に生きているのだ。
まあ、だからこんな時代を不幸と嘆くか、面白いゲームの時代と思ってプレイするか。
僕はすべてのジャンルにおいて独学だから、旧い定義では「素人」だろうが、新しい定義でみれば「イノベーター」「ストラテジスト」になるだろう。
バウハウスのリシツキーやモホイ=ナジを僕はリスペクトしてきたが、彼らは自からをアーティストやデザイナーと定義せず「コンストラクター構成主義者」と、「勝手」に定義したことには心から共感する。
そのような僕が「ミュージアム」というものにとり組む。だから、他からアート作品をもってきて並べ、キュレーションする、なんてことになるわけがない。
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