コラージュについて考える/一日一微発見311
最近よく「コラージュ」について考えている。「コラージュ」は言うまでもなく、質や文脈が異なるイメージをつぎはぎして、新たなイメージを生み出す手法で、今からだいたい100年ぐらい前に生まれたとされている。
美術書などに、かならず記されているのは、ジョルジュ・ブラックやピカソら「立体派」の面々が、文字がプリントされた紙などをキャンバスの上にはりつけたことを指す。
しかし僕は、これは「コラージュ」じゃないな、と思ってしまうのである。
ブラックやピカソたちのいわゆる「パピエ・コレ」は、絵画における造形的効果の一環として成立しているように思うのだ。コラージュとは、もっと社会の矛盾のバトルフィールドだと思うからだ。
それに「コラージュ」は誕生して100年を越したが、その「異質性の衝突」という初期衝動は、もはや陳腐化されてしまった。
にもかかわらず、相変わらず人は印刷物を切り貼りをやめないし、CGはもちろんのこと、ヴァーチャルリアリティの世界においても、その「コラージュ」への信仰やフェティッシュは衰えているようには思えない。
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