石の旅へ・予祝としての墓(イサムノグチにみちびかれ)/一日一微発見363
僕は「石好き」である。そのことはつねづね公言してきた。
生家が鉱物材料屋(石膏やフッ素)だったので、子ども時代からオモチャと言えば大きな「蛍石」のかたまりだったり。
そういうこともたしかに関係しているのかもしれない。
とにかく子どもの頃から「気になる」石と出会ったらポケットにひそませてもちかえった。
その習慣は今も全くかわらず、家には密かに「ストーンサークル」がつくられているほどである。
さて、流れ者の僕と妻の渚のコンビがたどりついたのが、浜名湖畔につくった「仮の家」である。 完成して1年。庭の植物たちもだんだん育ってきて、ごきげんのようだ。
そして次に進めようとしているのが「お墓」である。お墓こそが 「終の棲家」なのかもしれないが、流れ者の僕らにとっては、先祖代々の入るべき墓などはもはやない。
だから墓は2人の墓であり、住む場所以上に大切なものとなる。
しかし今の世の中で、未来永劫変わらないものなどない。墓にしても未来永劫誰かが世話をしてくれるわけもなく、墓だって壊されやがて消滅する。
AIが世界支配する社会が来るが、AIだって不滅ではないだろう。時間をこえたければ、古代の人々がつくったピラミッドや古墳の方がはるかに永遠性を手に入れることになるだろう。
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