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詩と書がアートになる時Ⅰ大谷陽一郎について/一日一微発見355
僕たちは井上有一の書がアートになる時を見てきた。そして真逆のベクトルで、具体美術協会の吉原治良が禅画の円相を抽象画にするのを見てきた。あるいは、サイ・トゥンブリーが詩をキャンバスに描いてペインティングにするのを見てきたのだ。
しかし、これらのことは、西洋における絵画が行き詰まったことと関連してかたられている。
つまり、あからさまに言えば、西洋絵画史は早くから、キリスト教のイコノグラフィーとの関係によって「発達」してきたのだ。
従って、アブストラクト・ペインティングはそこからの重大な「離脱」事件だった。
イコノクラスム、偶像破壊である。
とりわけマーク・ロスコやデクーニング、バーネット・ニューマン、ジャクソン・ポロックらの活動は、象徴的な出来事だったと言えるだろう。
しかし「絵画の可能性」が、そのようなアイコニズムとの関係にとどまるのはおかしい。
西洋絵画が我々をとりまく「見える世界」を「再現」するにとどまっていたのに対し、東洋画が、絵画画面の中に絵を生成させることに気づき、それを重視、発展させてきたことを思い出そう。
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