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画仙人、小松均にかつてないほど感動する/一日一微発見493

絵、あるいは画人には「格」というものがあると思う。僕らは、西洋美術史というグローバルルールに長らく慣れてきたのでそれを水準にする。それは決して悪いことではないが、目が脳にまどわされる。

熊谷守一の絵が、世界級であることを誰が示し得るであろうか。その意味で日本画家、小松均もまた守一級の「格」の画人であると確信するが、その証明を誰がなしえるか。

いやいや、だから、それが何だというのだ。
先にジョン・バージャーの『画家たちの肖像』というアンソロジー本のことを書いたが、僕的にそれを書いたなら、ジャスパー・ジョーンズと同様に、小松均を絶対に書きたいと思う。
彼の絵には、眼や脳を洗うような痛快な快楽がある。

小松均は山形に生まれ京都の大原に住み、自給自足の農産をしながら87才にいたるまで絵を描き続けた。酒とタバコを愛し(1日80本吸っていた日もあるらしい)、土田麦遷の弟子であるが、繊細だけでなく野趣の力にあふれた、まさに画人、画仙人であった。
ラブリーなエピソードにあふれた人生。しかし、それで彼の絵のすごさを見逃してはならない。

今回の京都駅美術館での回顧展『京都大原に生きた画仙人 小松均 自然をまなざす』は個人コレクターの作品の展示であったがゆえに、すばらしいチョイスであった。

その一番目に並んでいたのは1930年に帝展の特選となった「櫟木林之図」であった。それは色彩的には麦遷をほうふつとさせつつも、木立の線と櫟木の新芽の点が盛られつつ、画面を小川のジグザグがみちびくという、絵画自体の運動性で勝負したものだった。

僕はこの時空を求心的、説明的ではなく、いずこにこの拡散が導かれるかわわからないまま、絵をつくるという挑戦に心をとらえられた。

これは名作「大原秋景」などにもひきつがれていく。きわめてユニークで見事だ。
絵を見る目の移動、大と小、墨の黒と余白。それらが西洋の遠近ではなく、見る者の目を遊ばせ、かつ解放する。

その後、小松は直写法という独自の写生術へと進む。それは、絵の道と宗教の道を合一させる修行とも考えられる。

「写実を尽して写真を捨てる。自然を追求して自然を超える」

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