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日本画家・福田平八郎の誰も語らない「別次元の絵画」について/一日一微発見436

割引あり

福田平八郎の没後50年の大回顧展が大阪中之島美術館で開催されたので見に行った。
17年前には、京都の近代美術館で回顧展を見たのだが、今回はさらに新しい発見や、感じるものが沢山ありうれしかった。

平八郎は1892年に生まれ1974年に82才でなくなった。大分生まれだが、彼は京都市立芸大で日本画の先生もしていたこともあるし、残された文章やインタビュー(河北倫行によるものなど)を読んでも、ああ、感覚やリズム、時間が京都の人、京都画壇の人だったのだなあと思う。

小野竹喬は1889年の生まれで平八郎より年長であったが、平八郎の死後も5年ほど長生きした。
だから、運命のいたずらで、竹喬が平八郎がなくなった時の追悼文を書くことになった(『冬日帖』)。前にも書いたことがあるが、小野竹喬という人の追悼文は心にしみるものがある。

「心の友といふのは、お互ひそんなに会はなくても、どことなく親近感があって、心なごむ思ひになるものである。その唯一の友であった平八郎兄が、私より先に逝去した。何といふ悲しいことであろうか」

鼻ひげをはやした互いの顔が似ているので、よくまちがえられたりしたエピソートが綴られたり、その互いの尊敬と親近の距離が伝わる。
その文の中で注目すべき発言がある。

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