ジャン・プルーヴェ展に行って「仮の家」をさらに考える/一日一微発見324
政治や戦争のゴタゴタを見ていると、人間が歩んできた歴史を「やり直す」ということは本当に困難なことだなと思う。
もちろんどの時代にも(今の時代にも!)「理想」や「希望」は生産され語られるのだが、その通りに話が進むことなどない。1回目は「悲劇」2回目は「喜劇」と言うけれど、なんとか「改善」されていかないものか。
人間はいつから「賢くならない」サイクルに入ってしまったのだろうか?
僕は建築は門外漢だけれど、建築ほど人間が生きることにとって根本的なものはないと思う。だから、建築とは人間がアップデートできるか、オーバーに言えば「やり直し」「改善」されていくかのポイントを握っていると思うのである。
ジャン・プルーヴェは戦争というカタストロフ、大量生産時代に宿命づけられた先駆者の一人だと思う。彼はコストのことを含めて、人間全てが快適に暮らせる「生活空間」「住まい」のソリューションを果たそうとした理想主義者であったから、彼のクリエイションの道には困難が多かった。
金属工から身を立てて、ポンピドーセンターのコンペの審査員長まで登りつめる人生はジェットコースターのようだ。
しかし、それは彼が野望としたものではなく、「時代のクライシス」に、彼が勤勉に対応した結果であったろう。
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