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マーク・マンダースとミヒャエル・ボレマンスの「サイレンス」/一日一微発見196

アートの面白いところは、「簡単」に割り切れないところだ。

確かに科学の「真理」の積み重ねは、僕らの世界を見事に変えてきた。こうやって電気やガス、水道がすみずみの家に引かれていて、おまけに今や個人がそれぞれの場所から世界に発信ができるなんて科学のロジックがなければ成立しなかった。

江戸時代の人が「今」を見たら、ビックリする未来図であることは間違いない。

しかしだからといって、「すべて」がロジック通り変わるわけではない。京都の街を歩くとすぐわかるのは、何百年も前の建物(時空間)がモザイク状にはめ込まれたままで現代生活が営まれていることだろう。

すべてが新都市の新建材の街に、いっぺんに「スクラップ&ビルド」されてしまうわけでは無いのである。

人間の頭の中も、京都の街と同じように、さまざまなランダムな時空が棲みついていると思う。

ロジカル的には、とっくに「気がつかれ」「解決されて」はずのことが、なんと巨大な宿題として残存していることか。新時代を創る若者も意外と保守的だし、キャリアを経た老人も決して「賢人」ではない。

人類はなかなか進化しないのだ(まぁ、その不完全さがよいところでもあり、完全を求めると「全体主義化」してしまう悪夢を繰り返すことになるわけだが)。

人間がこんなモザイクな状態になったのはいつのころからか。モダン、ポストモダンという考え方は、それ自体がモダンだった。

しかし「コンテンポラリー」となった時には、そんなリニアな考えは失効した。新しいとか、古いとか、等価なのだ。

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