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ナディッフ・アパートよ永遠に!我が、アート拠点づくりの原点なり/一日一微発見497

恵比寿のアートブックストア、ナディッフ・アパートがこの3月いっぱいで閉店するという。上階に入居しているギャラリーのMEMなどはその後も活動するらしいから場所としての ナディッフ・アパートがなくなるわけではない。にしても、やっぱり、旗艦店がなくなるのは、実に寂しい。

ナディッフ・アパートには、地下にギャラリーもあったし、ただ本を売るだけでなく、トークや展示や商品開発で数多くのアーティストと交わっていたから、同じように深く寂しい人は沢山いることだろう。

僕がやっていた「現代フォトアート」とのギャラリーG/P galleryは、2008年のビルオープンから2018年の10年間、ナディッフ・アパートの2階で活動した(今は、G/P+abpの形で出版とエディション販売だけの形に切りかえている)。

ナディッフは2021年にCCCに身売りしたが、創業者の芦野公昭さんなしにナディッフを語ることなどできない。芦野さんは2021年に亡くなられてしまったが、本当に彼との縁がなければ、僕もG/Pもあり得るかった。

そしてコンテンポラリーアートの拠点づくりというものがどういうものか。その戦略、僕の考え、行動も定まらなかったと思う。

芦野さんのことは、彼が池袋西武百貨店の美術館(1975年オープン、99年閉館)で最新のアートの本を販売し、雑誌「アールヴィヴァン」もやっていたころから知っていた(その後、彼らが独立して始めたのがナディッフである)。

僕が京都から東京に出てきたのは24歳、1979年のことで、すぐに松岡正剛の工作舎で働いたから、よく書店営業の帰りに寄ったのだ。
京都で僕は、幻想文学誌『ソムニウム』と書籍も出版するエディションアルシーヴを主宰し、また1980年前にはVOXビルの開業に関わりMEDIA SHOPを企画し、その書籍仕入れをアールヴィヴァンの高橋新也さんに相談した。
僕は大学在学中から、自分の事務所をやっていて、工作舎とアルシーヴと一人二役であり、それもあって、アールヴィヴァンによく行ったのだ。

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