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目は旅をする・後藤繁雄による写真集セレクション

ヴィジュアルの旅は、大きな快楽を、与えてくれるし、時には長編小説以上に、人生についてのヒントを与えてくれます。 このマガジン「目は旅をする」は、長く写真家たちと仕事をして、写真…
後藤繁雄おすすめの写真集についての記事を月に2~3本ずつ投稿します。アーカイブも閲覧できるようにな…
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#写真家

ニック・ワプリントン 『Comprehensive』/目は旅をする082(地図のない旅/行先のない旅)

ニック・ワプリントン 『Comprehensive』(Phaidon Press刊) ニック・ワプリントンの「包括的」を意味するComprehensiveという名の写真集が出た。30年以上にわたる膨大な写真を新たにリエディットした分厚い写真集である。パリのヨーロッパ写真美術館館長でキュレーターであるサイモン・ベーカーの手になるものだ。初めて知るプロジェクトも沢山あり、その軌跡を、見ながら考えさせられることが多かった。 僕がワプリントンに会ってインタビューしたのは1998年

『安井仲治 写真のすべて』/目は旅をする080 (写真の未来形)

『安井仲治 写真のすべて』 (共同通信社) 写真とは残酷なアートである。 写真の学校に行って技術を学んだから写真家になれるわけではない。大学で理屈を学んだから写真が分かるわけでもない。ベテランだから傑作が撮れるわけではない。写真機によりイメージは考えるより早く取得される。言語的な思考より容赦なく速くやってくる。 まして誰もが、「携帯」という名の高性能な「デジタル写真機」を手に入れた時代に、写真の概念はどんどん流動的になって行く。写真における「素人」と「プロ」の対立項はAI

SHIGERU ONISHI 『A METAMATHEMATICAL PROPOSITION』/目は旅をする079(写真の未来形)

SHIGERU ONISHI『A METAMATHEMATICAL PROPOSITION』 (STEIDEL 刊) 大西茂(1928-1994)は、岡山に生まれ北海道大学理学部数学科で博士課程をへて研究室に所属して、「超無限」を研究した。それど並行し、写真作品を作り続け、後年には墨象表現へと発展させた特異なアーティストである。 アヴァンギャルド芸術、実験写真と便宜的に分類されるかもしれない。 瀧口修造は早くから大西を評価したし、また、具体美術協会をサポートしたミシェル

森山大道『Nへの手紙』/目は旅をする067(地図のない旅/行先のない旅)

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横田大輔『matter/burn out』/目は旅をする062(東京で)

横田大輔『matter/burn out』 (artbeat publishers 刊) ベンヤミンは、ユートピアへの衝動に終生付きまとわれた。それは一種のメシアニズムであったのだろうが、過去をステップボードにして未来への跳躍を夢見る。しかし、都市の全ての事物はエントロピーを増大させ、瞬く間に廃墟につきすすんでいく。 誰もそれを止めることはできない、救世主を除いては。

タイラー・ミッチェル『I Can Make You Feel Good』/目は旅をする061(写真の未来形)

タイラー・ミッチェル『I Can Make You Feel Good』(Prestel刊) 新しい写真の時代は、新しい才能(ユース)が作る。これは残酷なまでに、真実だ。 またもう一つの真実は、残酷なまでに、時代がその才能の出現を選ぶということだ。写真家や写真が生き残れるかは、ますます苛烈な闘いになるだろう。 コロナウィルスが全地球をマヒに陥れたり、ロシアのプーチンが過去のロシアの栄光という妄想にとらわれウクライナ侵略戦争を始めたり、それらカタストロフは可能性として議論

ブラッサイ『PARIS DE NUIT 夜のパリ 』/目は旅をする060(都市と写真)

ブラッサイ『PARIS DE NUIT 夜のパリ 』 (みすず書房刊) コロナ期の間に、ウイルスのおかげで世界は随分変わった。アメリカは分断され、ロシアや中国のような、20世紀であればコミュニズムであった国家が露骨に全体主義になり侵略戦争を引き起こし、ついには核戦争に突入しようとしている。 一方では、AIの進化は人間の予想以上に早く、ますます人間の奴隷化、無力化は加速化して行くだろう。 何がこのような「ニューダークエイジ」「ディストピア」への道を牽引しているのだろうか?

ヴォルフガング・ティルマンス『To Look Without Fear』/目は旅をする059(地図のない旅/行先のない旅)

ヴォルフガング・ティルマンス『To Look Without Fear』(The Museum of Modern Art, New York刊) 僕はコンテンポラリーアートの中でも、ひときわ「写真」に取り憑かれ続けてきた。それは「写真」が、他のどんなアートフォーム以上に、時代の動因と深くリンクした複合体だからだ。 そしてそれが、単に、時代を記録するジャーナリズムを意味するだけではなく、時には予言的と言ってよいほどの表象を提出してくるからだ。 理由はもっとあるが、それは

バリー・マッギー『TAR PIT. 2021』『Reproduction (stamped edition)』/目は旅をする058(ストリート)

バリー・マッギー『TAR PIT. 2021』(V1Gallery/Eighteen刊) 『Reproduction (stamped edition)』 (Aperture刊) この間、TABF(トーキョーアートブックフェア)があり、僕も自分が主宰する写真集/アートブックのレーベルG/P+abpで出店していた。アートブックフェアには日本だけじゃなくてパリ、アムス、香港などにも出店してきたが、お客さんとの出会いも楽しいが、世界のアートブックパブリッシャーがどんな「本」を作ろ

フィオナ・タン『Vox Populi Switzerland』/目は旅をする056(人間の秘密)

フィオナ・タン『Vox Populi Switzerland』(Aargauer Kunsthaus刊) スイスには僕のお気に入りの現代美術館がいくつかあって、そのうちの一つが、アーラウにあるAargauer Kunsthausアールガウアー美術館である。 この美術館はスイスの現代アーティストの膨大なコレクションで知られるが、2003年に建築家ヘルツォーク &ド・ムーロンが見事なリノベーションをはたして、小ぶりながら実に先見性のある施設とプログラムを提出してくれるのだ。

スタン・ダグラス『STAN DOUGLAS』/目は旅をする055(アナザーワールド)

スタン・ダグラス『STAN DOUGLAS』 STEIDEL/SCOTIABANK PHOTOGRAPHWY AWARD刊 「アーティストは、基本的に世界のバージョン、現実のバージョンを提示することができ、他の人々が検討できるように提案することができるのです。存在しないかもしれない世界についての考え方を提案することができるのです。他の方法では想像できないようなことを想像させることができるのです」 スタン・ダグラスは、そう語る。 1960年生まれでカナダのバンクーバーを拠点

アレック・ソス『Gathered Leaves Annotated』/目は旅をする054(地図のない旅/行先のない旅)

アレック・ソス『Gathered Leaves Annotated』 MACK刊 アレック・ソスは、極めて今日的であり、かつ特異な写真家だと思う。 彼の写真には、「風景」や「人」といった抽象的なものはない。「風景」や「人」というコトバで括れない具体的なもので出来ている。結論めいたものもない。朝起きると太陽が昇り一日が始まることが繰り返されるように、終わりもない。 『Gathered Leaves Annotated』と題されたザラ紙に印刷された720ページにもおよぶ「写真

イネス・ファン・ラムスウィールド&ヴィノード・マタディン 『 Pretty Much Everything』/目は旅をする053(写真の未来形)

イネス・ファン・ラムスウィールド&ヴィノード・マタディンInez van Lamsweerde/Vinoodh Matadin 『 Pretty Much Everything』 (Taschen刊) ファッションフォトは、単純には商品としての服を売るためのものである。 しかし、早くからその洋服に、資本主義的な価値生成を増幅させるための重要な共犯者であった。 ファッションの特異なところは、デザイナーによる「作品」でありながら、「流行」という常に変化し続けるトレンドを持って

スティーブン・ギル 『COMING UP FOR AIR: STEPHEN GILL – A RETROSPECTIVE』/目は旅をする050(写真の未来形)

スティーブン・ギル 『COMING UP FOR AIR: STEPHEN GILL – A RETROSPECTIVE』 (Nobody刊) 2021年秋にスティーブン・ギルは、30年以上に渡る活動を集約した大規模な「回顧展」をアルノルフィニで開催した。 この本は、そのタイミングで発行され、ギルが今までに発表してきた写真集を、ほぼ年代順に収録し直した600ページをこす大著である。 僕が彼の写真集『Buried』をフォトグラファーズギャラリーの売店で見たのが(それは土だら