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ショート/歌う鳥

 わたしが居るのは、いつもの森林公園。陰鬱な曇り空。並木に葉は付いていない。枯れている。落ちている。弱々しい枝がちらちらと視界に映り込む。風が冷たい。代々木公園でもセントラルパークでもない。たぶんヨーロッパのどこかだと思う。曇っているからね。といい加減なうそをつぶやく。本は読んでいない。句も詠まない。スマホも見ていない。SNSは辞めた。だれかのことも待っていない。ただぼんやりと公園のベンチに座って真昼に夢をみる。ジョギングしている人を見る。真っ白なポメラニアンを代わり番こに抱っこして散歩する老夫婦や、お母さんと歩く練習をしている一才児(推定)、まだまだ咲きそうにない桜の木の下でないしょ話をする少女たち、を邪魔する少年たちを見る。そこに一台の偉そうな高級車がやってくる。ロールスロイスかもしれない。たぶん違う。違うけど、嫌だな、と思う。
 運転手が降りた。運転手は静かに後ろ側へと回り込み、重々しくドアを開ける。
 すると男が降りた。あたたかそうな黒いロングコートを着ている。首元はふわふわのファーで飾られている。あまり似合っていないように見受けられる。が、似合っていないままに彼は黒い箱を抱えて園地を悠々と闊歩する。傲慢な目つきで胸を張って肩で風を切り、ときどき足を止めて木々を見つめる姿は反っくり返って偉そうで、木枯らしにさらさら吹かれる前髪は自惚れている。そして彼は無礼にも、我は神をも畏れぬとでも言いたげに、つまりとてもいやな感じにこの公園の主(と少年少女たちに名付けられている巨樹)を背に腰を下ろして黒い箱からギターを取り出す。
〈いったいどんな邪悪な音楽を——?〉
 とわたしは考える。勝手だけれど、たとえば彼が恋を歌うとしたら…と予想した。ひとまず「ありのままのきみを愛してる」と前髪をさらりとなびかせて、二の句で「だからおまえのすべてを支配させろ!」と態度を豹変させてお金をばら撒きながら激しくシャウト…と偏見にまみれた妄想でつい眉間にイヤなものを刻んでしまう。深く。
 そうこうしているうちに時満ちた。
 彼は楽器を仰々しく何度か撫でた。
 そして視線をゆらりと遙か先の曇り空に向け、演奏を開始する。コード進行は至ってシンプル。ロールスロイスらしき黒光の物体から降りてきたけれど、その他諸々偉そうではあったけれども、とてもシンプルにそして思いのほか穏やかに、
「昨日、鳥と話していたんだ」
 と彼は歌いはじめた。
 間もなく「過去のこととかね」と寂し気な顔をして、途端わたしは、え、、かわいい。。。
 意外だ。かわいい。鳥と話した。の? かわいい。しかも過去のこと? どんな過去?
 と首を傾げて彼と同じ曇り空を見上げる。鳥は飛んでいない。何も飛んでいない。飛行機も飛んでいない。空は変わらず灰色の雲に隙間なく覆われている。茫洋たる瞳。虚ろ。鴎。あの短編って本心なのかな創作なのかなどっちなのかな知る由もないけど…とこの世を既に旅立った人のことを想って石を蹴り蹴り。鴎。でも笑えるところもあったよね…と思い返すような曇り空。たとえが変かも。これで伝わる人がいるのならわたしその人とごはん食べたい。
 と思考を暴走気味に巡らせているうちに、彼の歌う鳥が恋人のことなのだとわかりはじめた。耳元で歌ってくれたと彼が歌い出したから。お返しに愛を教えてやったよと彼が威張ったときには、ちょっと笑えた。もはやその威張りキャラにさえときめいている。けれど、愛は受け取ってばかりじゃ悪いと思ってと彼は徐々になみだ声になり、彼女の翼は特別なんだと歌ったあとに嗚咽した。音が震えはじめて、おそらくもう歌えない。彼のひっくひっくが公園に響く。少年少女が彼をクスクス笑う様子が見える。あらあら、飛んでっちゃったのかねぇとひと休み中の老夫婦がひそひそ話す声が聴こえる。きゃんっとポメラニアンが吠える。ジョギングの人は既にいない。歩く練習をしていた一才児(推定)は手を叩く。その光景は予想外だった。だってまだ恋も知らず、恋ってなあにおいしいの?と無垢な瞳をきゅるんとぱちくりさせてもまだ誰にでもゆるされるようなよちよち歩きの幼児が、シンバルを大袈裟に叩くおさるさんの人形みたいにぱちぱちぱちーとして、隣にいるお母さんが慌てて「じょーずねー」と言った。幼児はきゃっきゃと喜んだ。
「きみにあの歌の何がわかる…」
 とわたしはおもわず呟きそうになる。でもそれは、「こぶた、こぶた、たぬき、たぬき、きつね、きつね、ねーこ、ねーこ」と歌っていたとしても、というよりそう歌ったほうが子供は飛び跳ねて喜んだでしょうと要約すればそのようなことを話している老夫婦の会話を盗み聞いて、そっかと腑に落ちた。そっか、そうだよね。音は楽しいとしかまだあの子は知らなくて。そうなんだけど、いつの日にかあの子も恋をして、笑ったり涙したりするときがくるのかな…と想像してよちよち歩きの景色が滲んだ。見ず知らずの他人の子にそうなるのはおかしいけれど、ゆっくり大きくなってね…となぜだかそんなことになっていた。
 堪らずわたしは、楽器を抱えて咽び泣く彼に視線を移す。このままでは彼が主の周りに涙で水溜まりを作るかも。そこに鳥が飛んできて水浴びをして、運んできた種から瓜で瓜子姫…というでたらめな絵空事——それはわざとおかしな妄想に取り憑かれたふりをしてなにかをごまかす愚かな行いで、つまらない。もしわたしが彼のように正直になれるとすれば、どうして人は恋に落ちるの?ともらい泣いて水溜まりを作れる心境。作らないけど。水溜まりは作らない。作りたくないのに公園を吹き抜ける風が冷たくて、春を知らせる鳥の歌声が無性に恋しくなった、とある冬の日の話。

(おわり)


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