神奈川沖浪裏の刃文
神 奈 川 沖 浪 裏 の 刃 文
「大船を荒海に漕ぎ出や船たけ我が見し子らがまみはしるしも」――詠み人知らず
【序】
私があの刀と出会ったのは、まだ美術館・博物館での刀剣鑑賞をし始めたばかりの頃である十九の時だった。
華やかな刃文が一際目を引くその刀の名は「今荒波(いまあらなみ)」。号である「今荒波」という名の由来は、その名の通り、荒波のように華やかな刃文だ。
私は東京国立博物館で出会ったこの刀を甚く気に入り、展示されていることを知り、何度も会いに行った。今回は私から見た「今荒波」についてお話しようと思う。まずは今荒波という刀について説明しよう。今荒波は、今川家や井伊家所蔵だったと伝わり、その後、井伊家十五代目当主井伊直忠伯爵から明治天皇に献上されたそうだ。現在は東京国立博物館所蔵となっている。
片山一文字派の刀工・一文字則房の作とされる太刀「今荒波」。号の由来については先程も述べた通り荒波のように派手な刃文が由来だが、昔、似たような由来と号を持つ刀である「荒波一文字」という刀があったそうで、これと区別する為に「今」が付き、「今荒波」という名前になったそうだ。
この刀の特徴はまさに号の由来にもなっているその刃文だ。私はこんなにも生き生きとし躍動感に溢れる刃文を、他では見たことがない。この刀の刃文は重花丁子と呼ばれる刃文で、とても華やかだ。私はこの刃文を、浮世絵師・葛飾北斎の代表作である「神奈川沖浪裏(かながわおきなみうら)」のように華やかな波だと思っている。それ故に今回のエッセイのタイトルも「神奈川沖浪裏の刃文」にした。派手好みの者や華やかな作風が好きな者にとって、今荒波は堪らない作品であろう。
茎はすこし磨上げられているそうだが、「一」の文字が切られている在銘の刀だ。また、この太刀の姿は、腰反りが高く、踏ん張りがある力強さと頼もしさを感じるものだ。見る人によっては、その迫力と存在感に圧倒されるかもしれない。機会があれば是非見て欲しい刀の一振りだ。
私は今荒波が持つ生命力を感じさせる表情を大層気に入り、何度も今荒波と顔を合わせた。私は今荒波という海が好きなのだ。
【破】
今荒波は比較的展示される機会が多い刀だと思う。今荒波目当てに東京国立博物館に行くこともあったが、別の折に展示されている刀剣を確認せずに行った時も、今荒波が展示されていたことが何度かあった。今まで今荒波と会った回数は、もはやわからない。
私が会った当時、今荒波は東京国立博物館の一階、十三室にいた。この頃の東京国立博物館は、刀剣を古いものから順に並べていたそうで、十三室に入ってすぐの右手の展示ケースから反時計回りに順番に並べられている。展示ケースには二振りずつ刀剣が並び、今荒波は三つ目の展示ケースの向かって右側に飾られていることが多かった。今荒波目当てではない時も、順番に刀剣たちを眺めていくと見知った顔が混ざっていることが度々あり、驚きつつも喜んだものだ。
今荒波という刀を言葉にするなら、「お洒落さん」あるいは「かぶき者」とでも言おうか。それほどまでに華やかさを持つ太刀なのだ。しかし、今荒波の美の精神性はそれだけではない。今まではその華やかな刃文に注目していたが、今度はすこし距離を取って、その太刀姿全体を見てみよう。先程、腰反りが高く、踏ん張りがあると言ったが、これは茎付近に反りの中心があり、元幅(区と呼ばれる部位の上の身幅)と、先幅(横手と呼ばれる部位の下の身幅)に差があるという意味である。例えるなら、人間が足を広げて踏ん張るように立っている姿のように、足元(元幅)が広く、頭(先幅)に向かっていくに従って幅が狭くなる形のことを表している。この太刀姿には、力強さと頼もしさを感じる。この今荒波という刀は、海が持つ生命力と全てを飲み込む荒々しさ、輝く海色が浮かんでくるような華やかさと圧倒的な存在感を示す力強さ、その全てを刀身というキャンバスに閉じ込めているのだ。
私は今荒波の号も知らないまま、はじめて今荒波を眺めた時に「波のような刃文だ」と思った。今荒波という海の景色を見たのだ。そして直後に今荒波という号と由来を知り、驚いたことがあった。この号を付けた人物と、時を越えて同じ景色を見ているのだと思うと、今荒波とこの刀を守ってきた先人たちに感謝したくなる。何百年も変わらずにその美しい景色を見せてくれる今荒波という刀。この景色は今荒波と先人たちからの贈り物かもしれない。
【急】
あれから数年、今荒波とは暫くの間、会っていない。多忙の為、なかなか展示を見に行く機会に恵まれず、展示スケジュールを調べる余裕もなかった。だが、いつかまた今荒波に会いに行こうと思う。またばったり会う可能性も高い気がしている。その時が楽しみだ。
今荒波に対する評価は変わらないが、ひとつ気付いたことがある。それは今荒波に対して抱いている感情の正体だ。その正体は「友愛」と「感謝」だった。
私にとって今荒波は、良き友なのだろう。洒落た出で立ちはとても好ましいし、そのつもりがなくとも顔を合わせる機会が多いと、まるで近所に住んでいる友人のような気がしてくる。
そして私は、今荒波に感謝していることがある。以前、馴染みの刀剣商に行った時、常連客である刀剣コレクターの年配の男性たちに「若いお客さんなんて珍しい」と声をかけられた。刀剣愛好家だと名乗った時に「刀好きって言っても、どうせ長船光忠とか加州清光とか有名どころが好きなんでしょ?」と言われたことがあった。その時、店員が「国立博物館に好きな刀がいるって言ってましたよね」と助け舟を出してくれた。咄嗟に私は「今荒波が好きです」と答え、常連客たちに感心されたことがあった。若い刀剣愛好家は年配の愛好家やコレクターに侮られることが時々ある。私はこの時、舐められたくはないと訴える愛好家としてのプライドを、今荒波に守られたのだ。刀剣愛好家としての矜持を守ってくれたこと。今荒波にはどれだけ感謝しても足りないくらいだ。
親愛なる我が友は、今どうしているだろうか。実はまだ直接お礼を伝えられていないのだ。そうだ、折角の機会だ。この場を借りて、今荒波への謝辞をしたためるとしようか。
親愛なる我が友、今荒波へ。暫く会えていないが、元気にしているだろうか。
こちらは夏の気配がほんのすこし近づいてきたところだ。その前にあの鬱陶しい梅雨が来るだろうが。湿気と気温差には気を付けてくれ。まあ、貴殿のいる環境なら大丈夫だろう。
今回は貴殿に伝えたいことが二つあり筆を執った。貴殿に対する感謝と詫びだ。
まずは事の経緯を話そう。私は以前、馴染みの刀剣商で自分より何十歳も年上の刀剣コレクターたちに「刀が好きって言っても、どうせ長船光忠とか加州清光とかが好きなんでしょ?」と言われたことがあった。その時、刀剣商の店員が「国立博物館に好きな刀がいるって言ってましたよね」と助け舟を出してくれた。私は咄嗟に「今荒波が好きです」と答え、刀剣コレクターたちに感心された、ということがあった。
まずは貴殿に感謝を伝えたい。貴殿が誇り高き名刀であったこと、貴殿の名ひとつで私のうら若き矜持は守られた。礼を言う。
ようやく貴殿に感謝を伝えられたと同時に、詫びねばならぬことがある。それは私の未熟さだ。私のうら若き矜持とは、言い換えれば高慢な矜持とも言えるもので、あの時、私は年配のコレクターたちに年齢や性別で判断され、値踏みされることが我慢ならなかった。私は私の矜持を守る為に、貴殿の名を利用してしまったのだ。まさに虎の威を借る狐だ。本来なら、そんなちっぽけなプライドなど露わにせず、粛然とただ堂々としていればよかったのだ。これは私の若さと未熟さ故の過ちだ。本当にすまなかった。
詫びた上で再三繰り返すが、貴殿には本当に感謝している。あの時、もしも私の矜持が守られていなかったら、刀剣を愛することがすこし辛くなっていたかもしれない。もしも私の矜持が傷つけられていたら、その傷は呪いとなっていたかもしれない。刀剣を愛し続けるという幸福な未来を貴殿は守ってくれたのだ。ありがとう。
最近は多忙なことと疫病流行の影響もあって、すぐには会いに行けないが、いつかまた会いに行くからよろしく。また則房が描いた神奈川沖浪裏を見せてくれ。その時を楽しみにしている。
以上が我が友・今荒波への手紙だ。もしこのエッセイの読者であるあなたも今荒波に会う機会があったら、よろしく伝えておいてくれ。
一文字則房が描いた神奈川沖浪裏。それは鋼のキャンバスの中でいつまでも変わらず在り続けるのだろう。
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