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335/366 カテゴライズする言葉

おはようございます。
今日も書いていこうと思います。

最近、知り合いに欲望について言及をされた。
「自分とあなたとの明確な違いは欲望がはっきりとしていること」

正直非常に不愉快な感情になった。
どうしてそう言われないといけないのか。

明確な欲望や野心を持つことがどれほど大事か。
確かに大事だ。
それは自分も全くの同意見だ。
おっしゃる通り。

野心、言うなれば自分が辿り着きたい場所や在り方、理想像だ。
欲望、それを渇望する想いの強度だ。

その野心や欲望が強く明確であればあるほど人としての魅力や推進力に変わってくる。

ただ、その欲望を持つことが正しい。
相手の欲望や理想を置いてけぼりにしてはいけないと思う。

欲望や理想を持っていない人間なんていない。
誰しもが持っている感情であり想いだ。

ただそれに蓋をしてしまっている人もいれば、
見ようとしていない人だっている。

ただ単純にそれを出せるか否かなんだ。

だからこそ、明確に線を引く言葉に自分はとても嫌な気分になった。
それは人をカテゴライズする言葉だ。

最近はタグ付けという文化がある。
カテゴリーとはまた違うのかもしれないが、結局何かのバイアスやレッテル
こう思うという何かを貼り付ける行為のほかならない。

そんなちょっと嫌な感じを持ってしまい、少々気が滅入った。

でも改めて気づく。

そういった言葉に敏感である自分に。
その言葉に怒りを覚える自分に。
それに悔しくなる自分に。

だったら自分はそんな言葉を使ってはいけない。
欲望を引き出せる、自由に前を向ける人を増やせるようになりたい。

自分の欲望を言語化することを忘れないようにしようと思う。

ああ、感謝だ。

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