225/366 夢は小さい方がいい。のか?
こんばんは。
今日も書いていこうと思います。
今日見ていた動画でこんな言葉が出てきた。
『夢は小さい方がいい』
話として、夢を大きく大きく描くことより小さい夢を描き、それを達成し、また先を見ることでより大きな夢を描けるようになっていく、
そういった話だった。
なるほどな〜と納得した。
確かに叶えられない夢をおいかけて落ち込み、諦めるより
コツコツと積み上げて手の届く夢を叶えて行った先を見る方がはるかに健全だと思う。
思う、思うのだがどうしても心の中は釈然としなかった。
本当にそうなんなのか??
果たしてそれでいいのだろうか。
ただ、自分の在り方としてそれが正しいと思いたくない。
(まあ正しさなんてないんだが。)
自分はこの対極に位置するような下記のような言葉が好きだ。
『野心こそ夢、欲望こそ希望』
この感覚を大事にしたいんだよな。
別に小さい夢に野心がないとか、欲望がないなんてことは微塵も思っていない。
それでも、ちょっと縮こまってしまいそうな気がするんだよな。
野心を持つ。ギラついた燃えたぎるような感情を持つ。
それは夢を叶えるためのエネルギー。
欲望、他人からどう思われても関係ない、自分の在り方を描く力。
それこそが生きる希望だ。
小さい夢を重ねて大きな夢を描いていくことももちろんいい。
ただ、自分は小さい夢を重ねていく前におっきなおっきな野望を持って進んでいきたい。
じゃあその野望ってなんなのかという話。
自分の野望は
『すべての人がまっすぐ前を向いて歩いていけるようになる』
だ。
これはやっぱり変わらない想いだと思う。
ある友人と話をして、泥臭く諦めず努力し続ける人っていいよねとなった。
その挑戦が叶うかどうかなんてわからない。
でも、今の自分を越えたくてがむしゃらに挑戦している人って輝いていると思う。
やっぱり最近はどこか、近道やうまい道があるって思っている人が多いと思う。
そんな近道は存在していなくて、変えるには、越えるには行動でしかないんだ。
小さい頃、諦めた道がきっとあるはずだ。
社会の当たり前や普通という風に当てられて日々を過ごしている人もいるはずだ。
自分もそうだったし、今も時折そうなりがちだ。
そんな時こそ野心を持ってほしい。
純粋な綺麗な綺麗な、泥臭い夢を思い出してほしい。
そんな一本筋が入れば自ずと丸まっていた背中は伸びて目線が上にいくと信じている。
自分はやっぱりそんな人を増やしたいし、そんな世の中であってほしい。
その人だけの熱狂できる何かを思い出してほしい。
今、自分がもう一度やりたかったことに熱中できる環境に身を置けている。
あとは体作るのみだ。
気合い入れて野心を持って、欲望という炎を持って進んでいこうと思う。
さあいこう。
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