見出し画像

#51 【育児】子供が持っている愛情の器の大きさを知ろう

子供が熱を出したり、自分の資格試験の勉強などで記事にアウトプットする時間もなく、時間が経ってしまった…。でも、こういう時があるのもしょうがない。あまり気にせず、できる時にコツコツと書き溜めていけばいいかな。ゆるゆると。


今日は愛情の器の話。

あなたは甘えん坊ですか?それともそっけないタイプでしょうか?

私は2歳半離れた妹がいるのですが、その妹が生まれる時、祖母に預けられました。自分では覚えていませんが、その時泣きもせず文句も言わず、入院する母にばいばーいと手を振っていたそうです。むしろたぶんおばあちゃんと一緒にいられてうれしーい、くらいの気持ちだったのでは?と思います。今の私が考えても納得です。
幼少期の記憶を辿っても、お母さんがいないからイヤだとか悲しいとか寂しいとか、そういう気持ちを抱いた記憶はほとんどない。一人で出かけたり遊んだり(と言っても妹が二人もいたので遊び相手には事欠かなかった)、親がいなくてもあまり気にすることはありませんでした。幼稚園も楽しく行ってました。
別に母のことが好きじゃなかったとか仲が悪かったとか、そういうことはありません。

私は愛情の器がお椀くらいの大きさなんだろうなと思います。いや、湯呑みか?お猪口か?とにかく、人と比べて大きくないことは確かかと。
ちょっと注いでもらえれば充電完了。そしてしばらくは大丈夫。

しかし、うちの息子はどうも違うようです。

それを自覚し始めたのは、保育園に行き出して一年くらい経った頃。2歳になるかならないかくらいです。
イヤイヤ期に突入してきて、自己主張が見えてきて、甘えたい気持ちが見えるようになりました。その時、私の感覚的にはこのくらいで充分かなという対応をしたつもりでも、息子にとっては足りてないということがよくありました。
おかあさん抱っこ〜、おかあさん見て〜、おかあさんねぇねぇ、おかあさん、おかあさーん!!!
いやいやお母さんもやることあるんやで。
いやいやこれ終わったらお風呂入るって約束したやん。
そしてそれを放置すると、後からとんでもなく癇癪起こされたり泣かれたり怒られたり…。
なんでいうこと聞かんの⁈
なんで約束守ってくれんの⁈
しまいにはこちらもイライラしてドカーン、を繰り返していました。
しなきゃいけないことに追われて子どもの観察を蔑ろにした結果だったんだと今ではわかります。
でも、今でも、ついうっかり忘れて塩対応をしてしまうことがしょっちゅう…。目先のタスクに追われちゃうのは私の悪い癖です。。反省。

息子の愛情の器は、どんぶりくらいはあるんだろうな。私よりずっと大きいんだろうな、と感じます。

人はそれぞれ必要な愛情の量が違うということが、子育てを始めて、やっと実感としてわかるようになりました。
「子どもをよく観察すること」が大切ですよ、とモンテッソーリ教育などでもよく言われることですが、自分基準で判断せず、子供が何をどこまで求めているかを意識することが大切だと学びました。


いいなと思ったら応援しよう!

いちこ@外資系IT企業SE国家資格キャリアコンサルタント
もし記事を気に入っていただいたり、役に立ったと思っていただけたら、サポートいただけると嬉しいです。

この記事が参加している募集