#53 【育児】人の気持ちを想像できる人の条件と修行
風邪を引いたり、資格試験の勉強をしたり、旅行に出かけたり、慌ただしい毎日を過ごしているうちに、アウトプットしたいことを考える余裕がなくなり、サボり気味になってしまいました。
せっかく50回以上続けてきたのだから、めげずにまた書いていこうと思います。
またまた子どもを理解できてなかったシリーズです。
私は基本的に人の気持ちに鈍感で、学生時代に、友達に怒られたり雰囲気についていけなくて置いてけぼりになりかけたりしたなぁと思い出します。。
だから、私は人の気持ちがわからないやつなんだなって思ってました。
でも子どもと向き合う中で、それはちょっと違うのかも、と思い始めました。
以前は、朝のお支度を嫌がり、とにかく保育園に行かないという態度をとっていた息子。最近ではそれは改善され、支度が遅いところはありますが、歯磨きしてね、靴下履いてね、といった声がけにきちんと対応し、スムーズに出かけられるようになりました。登園途中も抱っこ〜ということはあっても、ぐずぐずするわけではなく、比較的ゴキゲンで保育園に到着します。そして、ピンポンを自分で押してくれます。
あぁ、今日は機嫌が良さそう、とホッとしかけたその時、保育園に入った途端に私の後ろに隠れ、先生に挨拶もせず、ずーっとイヤイヤする、というパターンが増えました。
どうしたの?どうしたいの?と聞いてもダメ、誰とお支度する?先生とする?お母さんとする?と聞いてもダメ、お支度しないならお母さんいっちゃうよ、と言ってもダメ…。
旅行帰りの次の日で明らかに寝不足だよね、という日はさすがに無理かと思って諦めて帰りましたが、今日は特に思い当たる理由もなく、散々ごねた結果、先生に引き剥がしてもらって痛む心と共に帰宅しました…。
その後も考えても考えても息子の気持ちが分からず、自分の子どもの気持ちもわからないなんて、ホント母親失格だな…と落ち込み、仕事にならないまま一日を悩みながら過ごしました。
きちんと向き合って愛情のバケツが枯渇しないように気をつけているし、感情的に怒ったりしなくなってきたし、しっかり寝てご飯も食べてるし、なにが悪いのだろう…。
考えて考えて、最後にふと気づいたことがありました。
もしかして、彼はただお母さんと離れることが寂しかったのではないか。その気持ちがなんなのか、自分ではまだ分かっていなくて、どうしたの?と聞かれても言葉にならなかったのではないか。
保育園に着くまでは、このあと離れなければならないという事実を忘れて、今この瞬間はお母さんといるから寂しくない。ただ、保育園に入った瞬間に、離れなければならない現実を思い出し、言葉にならない気持ちから抵抗を始めたのではないか…。
そう思ったら、なんとなく全ての辻褄が合ったように思いました。
そして、私が人の気持ちがわからないと思っていたのは、人の気持ちを想像しきっていなかったからでは?ということに思い当たりました。わからないから、って考えることを放棄していたように思うのです。
子どもに教えてもらうことが日々たくさんあって、私は人間としてまともな奴になるために、この子が送り込まれたんだろうなぁ、と思わずにはいられないのでした。