木造校舎とかみさまのほこら
小学校から高校卒業まで、小さな街で暮らしていた。
今日は、その時の思い出と出来事をふたつ書こうと思う。
木造校舎の思い出
わたしが通っていた学校は校区も山の近くにあり、古くからある町並み、寺社仏閣が多い地域であった。
そんなわけだからかなんなのか、わたしが小学校二年生まで、低学年の児童は大正末~昭和初期に建てられたであろう木造校舎で過ごしていた。
「レトロな木造校舎」
こう書くと素敵なイメージがあるかもしれない。
確かに、レトロで素敵ではあった。戦前の漢字一覧表とかがしまってあったし。(低学年のわたしからすると、旧字体はなんとなく不思議な記号に見えた。)
しかし、それだけではない。
とにかく全てが古いのである。
階段はギシギシ、床はミシミシ、トイレは汲み取り。
特に低学年としては、トイレは怖かった。あらゆる怪談が出回っていたし。
その後、木造校舎は私が三年生になるとき、取り壊され、新しい鉄筋校舎が建った。
取り壊し前に全校で木造校舎を描くスケッチ大会が開催されたことを覚えている。
時は流れ、大学進学とともに上京した。
そこで幅広い出身地の人と話し、木造校舎で過ごした経験が貴重であることに気づいた。
あれ、もしかして珍しかったのかも。
かみさまのほこらについて
こちらも小学校の話。
わたしの通っていた小学校は、マラソン大会にやたら力を入れていた。
特に中学年以降は、結構な高低差のある坂のあるコースを往復で走っていた。
正直、しんどいコースだった。
さて、その折り返し地点は「山の神様」と言われており、名前通り何らかの祠があるようだった。
しかし、実際は山に入る手前の道で折り返しており、実態が未だにわからない。
祠がどんなものなのか。
そもそも祠があるのかないのか。
全てが謎である。
見たことがある人がいるとも聞いたことがない。
もしかしたら神様自体、実態がないものなのかもしれない。
しかし、小学生だったわたしたちはなんの疑問ももたず、「山の神様だ、折り返せるー!」と考えていた。
そもそも、神社のお祭りに子どもらが積極的に参加し、お祭り参加のために授業の早退が認められている地域でもある。
神様がいることが生活に根付いており、特に疑問も持たないのかもしれない。
なお、小学校のホームページを見ると、現在のマラソンコースはがらっと変わっているようである。理由はわからない。
木造校舎はなくなり、マラソンコースも変わり。
それが時が経つということなのかもしれない。
ただ、山の神様はいまも山の中にひっそりとたたずんでいる気がする。
昔と変わらずに。