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「自分は重要じゃない」と思うと、楽に生きられる気がする

札幌に住んでいたとき、あまりに多くの人に圧倒された。

スーツ姿で会社に向かって歩く道の途中、まわりには無数のマンションやアパート。知らない人たちが何十人と住んでいる建物が、あたり一面に広がっている。

休日に街にでれば、そこにも何万・何十万という人の海。

世の中、どこに行っても、こんなかんじに見える。

その土地その土地に、どうしようもないほど大勢の人がそこにいる。無数の住まいや職場、かぎりない人同士のやりとりがそこにはある。

いままで、自分なりに長い人生を生きてきた。

受験勉強や就活をがんばったり、行ったことのない場所に旅行して知見を広げたり。職場の人の優しさに胸を打たれたり、壮大な自然の景色をみて「生きる」ことのすばらしさに感動したり。

けれど僕ひとりのそうした経験や成長、成し遂げてきたことはすべて、この無数に人がいる巨大な世の中からすれば、砂粒以下のちっぽけなものでしかない。

小さすぎて、もはや無みたいなものだ。

だからこそ、「自分は重要じゃない」と考えることがすごく重要な気がする。

自分がこの世の中で、いかに取るに足りない存在か。それを理解していれば、これから経験するどんな出来事も、困難も、「社会全体の視点ではべつになんてことないことだな」と捉えられる。

そのぶん気楽でいられ、心が軽くいられる。

どうせ自分がこの世を去って何十年か経つころには、社会は自分の存在をきれいさっぱり忘れているだろう。文字どおり、すべてゼロに戻る。

現実的にそういうものだと思うし、むしろそれでいい。

その事実をポジティブに捉え、この80年前後というちっぽけな人生を、後悔のないよう思いきり楽しめばいいんじゃないかと。


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いちきた
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