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嫌われることは、ミニマリズムを実践できてるということ

昔、ある知人に嫌われた。3年ちかく仕事で関わっていたけど、今はもう連絡もない。

もともと僕は、ドまじめHSP。不誠実な行動をして嫌われるのはマズいと考え、ふだん自分なりに他人に配慮している。非があると思ったら、迷わず謝るようにもしている。

ただ当時、どう冷静に考えてもこちらに非がない理由で嫌われた。とある要求をされ、それに応じる義務はないと思ってやんわり断ったつもりが、相手はかなり怒っていた。

こちらの言い方が悪かったんだろうか。電話ごしに冷静に説明しようとしても聞く耳を持たれず、かけ直すと「切る」ボタンでブチられた、、(^^;)

そのときは、なんだかすこしモヤモヤした。でも何日かたってから「まぁいいか」という結論になった。

たぶん生きていれば、どれだけ誠実に丁寧にふるまっても、嫌われることがある。

相手を不快にしないよう、いくら言動に細心の注意を払っても、こちらを嫌う人はやっぱり嫌う。これはどうにもならない。

ましてや、自分が「そうするのが正しい」と考えて行動した結果嫌われたなら、もはや気にしなくていいのでは?
むしろ、相手の理不尽な要求に応えるために自分が損をかぶるなんて、さすがにおかしな話じゃないかと。

いちばん大切な価値観に沿って行動する。その価値観にそぐわない物事には「NO」で対応する。

そうすると、こちらを嫌う人はかならず出てくる。それでいい。感情抜きにして、その人との関係は絶っていいと思う。

当時、その人に嫌われたあと、かえってスッキリした。

嫌われることは、「続ける必要のない人間関係を手放してより自由になれる」という意味で、すばらしいことなのかもしれない。


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いちきた
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