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農家さんが梨くれた。お金以外の与え合いって素敵

家をシェアしている同居人が、梨をもって帰ってきた。

仲のいいワイン農家さんの畑仕事を手伝いに行っていて、その農家さんから「いつも助けてくれるお礼に」とくれた梨なんだそう。シャクッとみずみずしく、甘い。

ちなみにその農家さんの手伝いをするとき、本人はお金を一切もらっていない。

「自分は単純に好きで畑仕事を手伝ってるだけ。もしそこにお金が発生すると、多分その農家さんとの関わり方が変わってしまうから」と言っていた。

かくいう僕も、むかし北海道の田舎で農家をやっていた。よく同じ地域内の農家さんの仕事にヘルプしに行き、そのたびにジャガイモやらキャベツやらをタダで分けてもらえたものだった。

当時よく応援しに行ってた農家さんの、キャベツ選果の現場
応援しに行ったお礼にもらったキャベツ

こういう「与え合う」「分かち合う」という感覚はすごくいいものだと思う。お金のやりとりが介入せず、助けてもらったお礼に自分のもっている何か (農作物、お菓子、釣ってきた魚など) をその人に提供する。

そういう「シェア的な価値観」をもって他人と接していると、単純にその人を喜ばせようとか、その人の役に立ちたいとかいった他者貢献の気持ちになれる。よりお互いを尊重し合える関係性を築ける。

これ、サラリーマンとして働いてたときとは、ずいぶん違う感覚だ。

むかし勤めてた会社で、役員の人に「こっちは固定残業代払ってるんだからもっと長く残業してくれよ!夜7時とか8時とか!」と差し向かいで迫ってこられたことがある。

そのとき、「金銭」というものが人の態度・関係性をこんなにもピリピリしたものに変えてしまうのか、と痛いほど感じた。

雇用関係をはじめ、お金のやりとりが根本にある人間関係は「利害による薄いつながり」になりがち。思いやりとか、助け合いとか、本質的な意味での「人間的つながり」とは異質のもので、それは退職などのひょんなきっかけでプッツリ切れてしまう。

いっぽう、お金を介入させず、たんに労力や食べ物などを与え合うことで、僕らはもっと心の深い部分や純粋な温かさのなかで人と関わっていける。そうやって作られた関係性は、人生をこの上ないほど豊かにしてくれる。

そういう生き方をこれからはしていきたいし、そんな価値観に共感してくださる方とつながりたい。そして、自分の身のまわりにこうした「分かち合いの素晴らしさ」を微力ながらも広げ、世の中の役に立って生きていきたいなぁと思う今日このごろ。です。

あしたも良い一日を!


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