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「選べる」or「選べない」

「選ぶのは大変」と思っているあなたへのメッセージ。

 今日は、どの服を着る?
どの商品を買えばよい?
良いお付き合いができるのは、どちらの人?
どの仕事、どの会社が自分に合っている?

 わたしたちの生活って、本当に選ぶことが多いですよね。なかなか決めることができず、うんざりしたり、悩んでしまったりすることもまれではありません。「誰か決めてくれ!」と思いたくなることも。 

でも、大丈夫! 

「歴史というフィルター」を通して物事を見ていくと、これまでとは異なった見方ができるかもしれません。過去を振り返れば、ほとんどすべての時代は、「選べる」こととは無縁だったからです。

 目次


 

選べなかった時代:狩猟採集社会

いま、多くの人は、家と学校・会社を往復したり、ずっと家で過ごしたりという違いがあるにせよ、家を拠点とする生活を営んでいます。

人々が特定の「すみか」をもつようになったのは、人類史という尺度で考えれば、それほど古いことではありません。

700万年前に誕生したヒトは、サルの生活圏であった「樹上」から「地上」へと生活の場を大きく変えました。699万年、つまり人類史の99.99%の間は、定住することなく、「遊動生活者」として生き続けたのです。人々は、血縁者を中核に、おそらく20~40人ほどの小さな社会集団を形成。自分で運べるものだけをもって一定の地域・領域を移動するという生活パターンでした。

 彼らの主要な食糧は、自然のなかにある果実・種子・若芽・昆虫・小動物など。ときには、狩りをして、比較的大きな動物を仕留めることもありました。

 彼らの生存は、食糧不足と飢えのみならず、近隣の集団との抗争などによって、常に危機にさらされていました。旧石器時代にあって、30年以上生き伸びる人はまれ。日本の縄文時代における平均寿命は、15歳に達していなかったと推計されています。

 ライバルとの競争が少ない楽園のような木の上での生活とは異なって、地上・草原での生活は危険に満ちていました。知恵を働かせ、集団内の仲間で助け合いながらでしか生き延びていくことができませんでした。

 食糧は、すべて平等に分けられました。それは、人間に特有の「分かち合う心」「助け合う心」、つまり「共感する能力」のあらわれなと考えられています。と同時に、仲間との結束を破るような行動は、死を意味したのです。

 個人の思いにそってなにかを選ぶケースも、きわめて限られていました。およそ、今日的な意味では、「選ぶ」という行為自体が成り立たない時代だったと言えるかもしれません。

 

選べなかった時代:農業社会

採集と狩猟をベースにしたライフスタイルを大きく変貌させたのは、農業・牧畜の開始です。それは、数千年というきわめて長い歳月を費やして、各地域に特有な条件に対応しながら少しずつ定着していきました。

農業が始まり、大勢の人々がより安定的に暮らせるようになると、もはや狩猟採集生活への後戻りはできません。増加した人口を、狩猟や採集だけでは支えきれなくなかったためです。

人々は、小さな集落をなして定住生活を始めるようになります。その結果、状況に応じて集まったり離れたりしていたそれまでのようなルーズな集団に代わって、継続的で、より拘束力のある社会集団が形成されるようになったのです。

そうした社会集団は、歴史学では「共同体」と呼ばれています。

当時の人々がそうした社会関係を共同体というふうに呼んでいたわけではありません。それは、血縁や地縁をベースにした、家族、部族、都市、村落といったものだったからです。

人々は家族の一員としてだけではなく、部族や都市や村落といった特定の集団に所属していました。各個人には、特定の集団のなかで、互いに助け合うという精神が確立していました。逆に、自分たちの集団に属さない人たちには、激しい敵意を持っていたのです。

農業が主な生業となる社会にあっては、一定の土地を共同で利用したり、農業労働を共同で行ったりするわけです。共同体による規制は不可欠で、個人の勝手な行動は許されませんでした。

個人が自由に自分の人生を選ぶことができなかったのです。生まれた場所と身分によってほとんど一生が決まってしまったと理解すればよいでしょう。

「職業選択の自由」もありませんでした。職業は、基本的には親の跡を継ぐしかなかったのです。女性の場合は、父親と同じ職業・身分の男性としか結婚できませんでした。結婚相手さえ、自由に選べるわけではなかったのです。

昔からの慣行・伝統や古老の言い伝えが、人々の生活を律していました。

個人が勝手な振る舞いをすれば、共同体の秩序が維持できなくなる怖れがあったからです。村社会では、「村の掟・ルール」がありました。それを破った者は、共同体から放逐されるか、「仲間外れ=村八分」にされ、日常的な接触が断たれました。

「移動の自由」もありませんでした。
歴史家J・R・ヘイルによれば、中世ヨーロッパの農民が経験する「生涯で一番長い旅の平均は15マイル」(約24キロ)でした。生まれたところで、一生を終えるのが普通だったのです。

共同体が完全にこわれるには、産業革命によって資本主義社会、言い換えれば、食糧の確保をもっぱら土地に依存する農業社会が解体し、代わって工業、さらにはサービス業が主導する社会が完成するのを待たなければならなかったのです。

選べる時代:現代社会

農業に加えて、工業やサービス業が大きな比重を占めるようになると、生産の担い手として、企業が登場します。その結果、共同体の規制と保護のもとでしか生存できなかった各個人が、共同体の制約から解放され、一個の独立した個人としてたちあらわれることになるのです。

こうして、自分の意志で自分の生き方を決めていくという時代が到来したのです。

確かに、いまの時代、普通に生活をしていても、さまざまな悩みや不安がつきまといます。日常的なストレスも、半端ではありません。

しかし、移動の自由がなく、生まれたところで一生を終えるという生活、職業も結婚相手も自由に選べないという時代を想像してみてください。

以上のように、歴史というフィルターを通して、いまの時代を見ると、また違った目でいまの生活を見つめ直せるのではないでしょうか。

わたし自身は、「選ぶことの大変さ」だけに目を留めず、「選べることのありがたさ・幸せ」にも目を向けて欲しいと思っています。

さて、あなたは、どのように考えますか?

【主な参考文献】

・NHKスペシャル取材班『ヒューマン なぜヒトは人間になれたのか』
・アルヴィン・トフラー/徳岡孝夫監訳『第三の波』
・西田正規『定住革命』
・クライブ・ポンティング/石 弘之、京都大学環境史研究会訳『緑の世界 
 史』上下巻
・ユベール・リーヴス、ジョエル・ド・ロネー、イヴ・コパンス、ドミニ
 ク・シモネ/木村恵一訳『世界でいちばん美しい物語 宇宙・生命・人 
 類』

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