相沢沙呼小説のススメ~「寄り添い」「奇術」「物語へのエール」~

「小説の神様」

鞄に小説が入っていないと落ち着かない方、月に一度は次に読む(積む)小説を探しに書店に赴くような方なら、どこかでこのタイトルを耳にしたことはあるのではと思います。

読み手と書き手の間に、胸を抉るような感動の嵐を巻き起こし、そして実写映画化まで決定してしまった作品です。かくいう僕にとっても、生涯ベスト級と言い切れる大切な作品です。

今回お伝えしたいのは、この「小説の神様」を手がけた相沢沙呼先生(愛称:さこもこ先生)についてです。主に思春期の少年少女の「日常に潜む謎」と「リアルな孤独や痛み」を描いてきた相沢ミステリの魅力、「小説の神様」にまつわる思い出、そしてミステリファンの間に「絶叫」を巻き起こしている最新刊「medium 霊媒探偵城塚翡翠」まで、僕が読んできたものからご紹介します。

午前零時のサンドリヨン

デビュー作ですね。高校を舞台にした青春ミステリ×ほんのりラブコメ×マジック。そう、マジックです。さこもこ先生、クロースアップ・マジックの名手でもあって、それが作風にも密接に絡んでいる。


こちらはさこもこマジックのターゲットとしても活躍されている斜線堂先生の体験談(この斜線堂先生にも最近ドハマリしているので、また書きます)

「午前零時のサンドリヨン」は、主人公の須川くん(自信に欠ける草食系、通称ポチ)が、ヒロインであり探偵役である酉乃さん(教室では周りと距離を置きがち、放課後は一転して魅力的なマジシャンに)と共に、学内の謎に迫っていくというストーリーです。

謎の提示と、解決パートでの伏線回収の「え、ここがヒント!?」という鮮やかさ、不意打ちっぷりも見事なのですが。本作での謎には、何かに追い詰められてしまった、人に言えない絶望を抱える生徒が関わっていまして。

謎の解決と共に、隠されていた絶望にも直面して。そこで活躍するのが、酉乃の「心を救う」マジックです。

その人の境遇を、ストーリー仕立てのマジックに落とし込んで。前を向けますように、また踏み出せるようにというメッセージを、鮮やかなマジックで届ける――という、言ってしまえばただのパフォーマンスなのですが。

不思議さに、あるいは感動に打たれているときって、心のフィルターが柔くなると思うんです。普段なら撥ね除けてしまうような何かも、例えばマジックを通してなら、「信じてしまえる

これって、僕らがエンタメを求める理由にも直結していると思うんですよ。ただ「頑張れ」「大丈夫」と言われても――それはそれで大事なことですけど、心に浸透しないことはあって。

例えば物語が、音楽が、踊りが、表情が、画が、映像が、あるいは生身の体温があることで、いつもよりも素直に、あるいは楽観的に、そこに込められたエールを受け取ることができる。だから、酉乃のマジックは泣けるのです。さこもこ先生が小説に込める想いが、そこに乗っているようで。

本作は四編で構成されており、一編ごとに違う謎を追いながら、周囲のキャラクターが増えていきます。そしてラストでは、見え隠れしていた「学校の幽霊」の噂の真相と共に、それまでの関係者たちが抱えていた秘密が明らかになる、大団円のクライマックスへ突入します。それぞれへの印象が、再び塗り変わる。全編を通した伏線に驚きつつも、彼らの心情に涙する、見事な構成でした。このクライマックスの加速&収束感、大好きです。

登場する若者たちが抱える苦悩はダークかつリアルで。そして被害者/加害者とシンプルに分けることもできないような、複雑で多面的な、かつ「そうなってしまうよね」というやるせない人間模様も描かれており、群像劇としても楽しめます。

そして須川くんと酉乃さんの、違う孤独を抱えた同士の不器用な寄り添い合いにもグッときます。人物の内面を生き生きと、あるいは切々と描き出す、語りかけるような筆致も好きですね。

続刊は「ロードケプシェン、こっちにおいで」

こちらでは須川くん&酉乃さんサイドに加え、居場所をなくしてしまった女の子の視点が登場し、より多層的に進行していきます。前作でも描かれた「人の印象が塗り変わる」面白さと共に、「教室という魔物(本文での表現)」の恐ろしさが一段と濃く描かれていました。また創作に携わる人の痛みも描かれていて、後の作品のテーマはこの頃から登場していたんだという楽しみ方もできます。

「間違っても、傷つけても、まだやり直せる」――そんな祈りが沁みるシリーズでもありました。


マツリカ・マジョルカ


気弱で教室に居場所がない主人公の祐希くんが出会ったのは、廃墟に住む謎の高慢美少女・マツリカ。ワトソン役の弱気男子×探偵役のツンデレ系女子という構図は酉乃シリーズと共通していますし、ヒロインの性格は「小説の神様」にも通じているのですが、今作が最も極端なような。

祐希くんが学校で遭遇する謎を、マツリカさんは廃墟の中から解決していきく構成。酉乃は現場にいることも少なくなかったですが、マツリカはずっと廃墟の中です。安楽椅子スタイル。学校にもいない(来るべきなのに)ことが、さらにマツリカの神秘性を引き立てます。

謎を解くことで、関わる人の孤独や絶望が明らかになるという構造は酉乃シリーズとも共通していますが。本作ではより引いた視点になっていて、さらにその人にアクションを起こそう、という展開にはなっていません。

その代わりに、誰かの痛みに向き合うことによる、祐希くん自身の内面の変化が強調されているように思います。というのも今作では、事件の関係者だけでなく祐希くん自身もとある痛みを抱えていまして。

最終話では、彼自身の傷に向き合う話になっています。ここでのとある真実の開示、驚きも切なさも非常に鋭いのですが、痛みを経て再び「優しさ」を信じて立ち上がるという過程を、(ここまで感情移入してきた)彼自身が表わすことで、より強固に祈りが浸透するように思いました。

また酉乃シリーズでも、須川くんの視点による酉乃さんの美少女描写は入念になされているのですが、マツリカシリーズではそれがさらに際だっています。謎の美少女と、放課後の廃墟、ふたりっきり……DTフィルターが活性化しないはずがない!

全開するさこもこ先生の美少女フェチシズム、特にふともも愛にもご注目です。

続刊は「マツリカ・マハリタ」「マツリカ・マトリョシカ」。未読なのでまた買います。


雨の降る日は学校に行かない

刊行順は前後しますが、次はこちら。

「小説の神様」と並んで、支持の声が熱い一冊という印象があります。

「教室という魔物」と戦う、六人の女子中学生たちを描いた連作短編集です。今回はミステリーではなく、純粋な「寄り添い」と希望の物語になっています。

学校に巣食う、縦のカーストや横のクラスタを形成しての同調圧力。外れることへの制裁。その標的になってしまった彼女たちの心理が、胸をじわじわと締め付けて。全編が口語的な一人称なんですけど、五感と脳裏に襲ってくる感覚が克明で、没入感がすごいんですよ。描かれるいじめも、酷いことは確かなんですけど、「まあ、あるよね」と納得してしまうようなケースが多くて。

そして加害/被害側の綺麗な二分ではなく、サイドが変わりつつある、あるいはサイドを変えようとする子の話もあって。このグレーゾーン感もリアルでした、被害者「だけ」ではいられない時だってある。その弱さがまた痛い。

けど同時に、「ひとりじゃなかったんだよ」と読者自身に寄り添う物語でもありました。

僕の場合、中学以降は教室環境に恵まれてきた方ですが、小学校時代はそれなりにいじめに遭った経験があって。小学生らしい直線的な攻撃ばかりでしたし、いま思えば解決だって容易だったような気もしますけど、それでも当時は当時でしっかり辛かったです。一番自殺に近かったのはあの頃かな。

そして、そのストレスから……という書き方も卑怯ですね。他の誰かを傷つける側に回っていたことも覚えています。いくらかは忘れてしまっているのかもしれませんが、覚えている後悔だってそんなに少なくはないです。

その意味で、昔の自分を掬われているようで。一方で2010年代の女子中学生という、僕にはあまり馴染みのないレイヤーでの痛みを知ることができた。誰かの人生を、心を体験する、小説という媒体の真髄に触れるような一冊でした。

死にたい。死にたい。そう思った数だけ、わたしはきっと、生きていたい。(「死にたいノート」より)

加えて、僕のオリジナル小説で、不登校に追い込まれた女の子を登場させようとも構想してまして。そのヒントにもなったように感じています。

さらに本作、解説も一級品です。担当は「はるかぜちゃん」こと、春名風花さん。

一編ごと鋭く温かい視点で、追い詰める側を非難し、友情を称え、新たな味わいを提供し。そして学校のいじめ対応、中でも「辛かったら学校に来なくてもいい」という一見真っ当なアドバイスに対する痛切なアンサーを通して、忘れがちな「学校の意義」を再提示するという。

読んできた巻末解説の中でも屈指の推し解説です。ちなみに解説というと、ハルチカシリーズの第二弾である「初恋ソムリエ」での大矢博子さんのも最高でした。こちらも大好きな青春ミステリ。


小説の神様

そして冒頭にも挙げたこの作品。以前の作品と同じく男子高校生・千谷(ちたに)くんが主人公ですが、今回は「売れない職業作家(覆面)」という立場の方が主題に近いです。

中学生の間に純文学でデビューできるくらいには、文才はある訳です。実際、僕が到底及ばないスキルを持った人たち、ものすごく面白い話を書く人たちが、そこに向けて何度も努力をしているのも見ています、その意味で千谷くんは幸運でもあった、かもしれない。

けど、プロの戦場に打って出た彼を待っていたのは。

減り続ける部数。自分の本が見つからない書店。目を覆いたくなるような、罵詈雑言だらけのレビュー。出すことの許されない「物語の続き」。

それはきっと、不遇の時代を経てきた小説家の方、あるいはさこもこ先生自身が味わってきたリアルなんだと思います。これまでの「寄り添い」を自分の痛みに対して発揮して、読む人の胸をしっかりと爪痕を残す文が綴られている訳ですが。本人も発言している通り、さこもこ先生にとっても非常に苦しい執筆だったと思います。

……そんな千谷くんの前に、彼とは対照的な「美少女高校生人気作家」の小余綾(こゆるぎ)さんが登場し、合作に挑むことになります。ボーイ・ミーツ・(ツンデレ)ガールからのバディ進行はここでも健在。

そしてここからは、高校の文芸部や家族も巻き込みながら、お互いの主張をぶつけ合い、やがて小余綾が抱える秘密に迫っていく――という展開なのですが。

全体を通して、小説執筆における理想論と現実論の対峙が描かれているんですよね。

「多数の読者にとって理想的な本を書かなければ生き残れない」という現実論。

「自分にしか書けないような、信じる美しさを込めた物語を書けばいい」という理想論。

理想に破れたからこそ、頑なに現実論を振りかざす千谷くん。理想論を掲げて食い下がる、売れっ子、だけど○○、な小余綾さん。

小説が好きな人ほど、どっちにも筋があるって感じると思うんです。少なくとも僕にとっては、「売れている本には売れているなりの良さがある」「この本はメインストリームとは違うけど、オリジナリティがあってすごく大切」の、どちらもリアル。

また書く側の人、特にWeb小説の空気に触れている人であれば、作中で語られる「売れるためのメソッド」と、それに追い詰められるような「書きたいという純粋な気持ち」のコンフリクトが痛く刺さると思います。居心地の悪さすらあるのでは。

彼らバディの合作の行方――は、見届けてもらうとして。

本作が僕に及ぼした影響、二つ。

まずは今まで以上に、書店やネットでの作家さん発掘が楽しくなりました。「周りの声だと聞かないけど、めっちゃ面白いぞ」という方に出会ったときの、「引き当てた」感と「宣伝しなきゃ」感の楽しさ。あるいは、誰かの布教に乗っかってみるときの楽しさ。

そしてもう一つ。オリジナルの小説を書くようになりました。

それ以前から、二次創作には手を出していたし、オリジナルで書きたいって思っていた構想もあったんです。ただそれが、あまりにも自己投影が激しい、共感を得られるか疑わしいようなもので、やたら長くて。

そうやって二の足を踏んでいた中で、「小説の神様」に出会って、

「僕/彼だって、主人公になっていい。抱えてきた願いを、小説にしたい」と執筆に踏み切りました。たびたび紹介していますRainbow Noiseは、こうして始まっており、まだまだ続いています。思ったより掛かりそうですが、気に入ってくれる人も、期待していた以上に居てくれました。

そんな、小説を読む/書く人へのエールは、僕を含め多くの人に届き。

やがて続編が出ました。


小説の神様 あなたを読む物語 (上)(下)


続編の経緯については、さこもこ先生のこのnoteにも書かれていますが。ここで綴られている苦悩自体が、作品のテーマになっています。

前巻から続く、千谷くんと小余綾さんの合作バディ。今回の彼らは、「続刊」というハードルに直面します。そもそも出せるのかという経営的な話に加えて、「あれだけ労力を注いだ前巻を越えられるのか、決着をつけた先でまた試練を与えるのか」という。

作中で語られる、シンプルながらも美しいアンサーに加えて。僕にとっての「続き」の意味って、そのまま「人生は続くから」なんですよね。

大会が終わっても、受験をクリアしても、就活に通っても、好きな人と結ばれても。エンディングに相応しい節目を経ても、「その先」はやってくる。そこにもっとハードな試練がない保証はない。

だから、繰り返し襲う試練を、何度でも打ち破っていく姿に勇気づけられるんだと思います。先述したRainbow Noiseも、「この後にこんなコト起こす!?」みたいな展開なので、そこに紐付けたのもあります……まだ書いてないですけど。

ただ今作はそれ以上に、文芸部の後輩である秋乃ちゃんの物語という側面が強いと思えました。

過去に、創作者である友人を「自分のせいで書けなくしてしまった」彼女が、家業である書店の手伝いや、文芸部の活動の中で「小説の、読書の意味」を、友情を再生する道を探し。

加えて、小説と他媒体との比較、一般文芸に対するライトノベルの立ち位置、物語への対価の感覚、そして「感性」を巡る主張たちが、読者の視点からも展開されます。

その辺のリアルは相変わらずビターなんですけど。ただ今作、小説に興味なかったけどハマリ出した、という子がいて。その子は小説業界にとっての希望としてすごく象徴的でした。

「小説の神様」が無事に映画になって、役者さん目当てで観にきた、小説に興味のない人が、熱量や願いを受け取って、一冊を手に取って――みたいな、そんな出会いを想像してしまいます。

二つの視点を経て今作が描き出しているの、「作者と読者のバトンの渡し合い」だと思うんですよね。この物語があるから、私は立ち上がれる。読んでくれるあなたがいるから、また書ける――そしてまた、物語が生まれる。

そして、自分の感性に合う物語に出会う、「刺さる、ハマる喜び」も描かれています。そりゃ色々読んでいれば、合わない作品だってあるでしょう。没入しようとするほど、違和感にぶち当たることもあるでしょう。

けど、だからこそ、「自分のために書かれた」と思えるような物語に出会うのは絶大な喜びですし、僕にとってこのシリーズはそういう存在です。

さこもこ先生は印象的なフレーズが多いんですけど、「小説の神様」は特に必殺フレーズが豊富です。第六話ラストの秋乃ちゃんのモノローグとか、書くエネルギーを充填したいときに何度でも読み返していますし、そのたびうるっと来ます。副題の「あなたを読む物語」とかね、読み終わった後だと最高に響くんです。

ちなみに紹介では触れられなかったんですが、千谷くんの妹である雛子ちゃんがひたすら可愛くて健気で泣かされます。兄への罵倒のキレがいいのも最高。

さてさて。ここまで、さこもこ先生の作品の温かさについて綴ってきましたが。ラストとなる次は、ガラッと変わった最強×最驚のエンタメです。



medium 霊媒探偵城塚翡翠



現時点での最新刊。「死者を呼び出せる」能力を持つ霊媒探偵・翡翠ちゃんと、その霊視を基に推理のロジックを組み立てる香月さんによる、バディ推理モノです。

さこもこ先生の本来のジャンルであるミステリでありながらも、「人の死なない青春ミステリ」を通してきた先生にとっては珍しく(というか初?)殺しが起きます。

聞くところによると、さこもこ先生はあえて殺人事件を禁じ手としていたそうで。加えて今回は語り手たちも大人で、これまで通してきた「寄り添い」も希薄で。この点だけ見れば、らしくない一冊です。

そんな一冊を読んだ僕がどうなったかといいますと。

ほんと、

「相沢沙呼ぉぉおおおおお!!!!」

でした。らしくないけど、さこもこ先生じゃないと書けないタイプの。ヒロインも趣味全開でしたよね、ふともも。

たとえて言うなら、

武器に頼ることをよしとせず、素手での戦いを極めていた武芸者が「この戦いは刀が要るっ」と抜刀したら、元の体術も相まって無双だった。

みたいな……なんだこの遠回しな比喩。忘れてください。

とにかくですけど、面白さは格別です。没入感も驚愕度も久しぶりのレベル、「小説の神様」とは別の意味で生涯ベスト級。

そして今作、ネタバレのクリティカル度もえげつないので。

他の作品は味わいどころが分かっていた方が読みやすいという側面もあるんですけど、mediumは「読んで損はない」ということだけ押さえて読むのが最善です。鮮度という意味でもこれから入るのがベストだと思います。


以上、六作品をピックアップしましたが、これ以外にも著作は多数あります。どれが刺さるかは好み次第ですが、いずれにせよ、「小説好きが触れて損はない」作家さんだと思います。

そして僕にとっては、これまで抱えてきた疎外感・劣等感と、そこから生まれた「物語を紡ぎたい」という気持ち、その両方にエールをくれる作家さんでもありました。こういう方は僕以外にもいらっしゃると思います、そんなあなたに読んで欲しい。

相沢作品との素敵な出会いが、あなたにありますように。


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