「おとうさん」という音の甘美な響き。〜敏感すぎるあなたが7日間で自己肯定感を上げる方法その4
根本のじっちゃんの本で修行しようぜの3日目でーす。
過去を振り返るシリーズ。
前回は思春期の自分を振り返りました。
思い出してこころが重たくなるような出来事から、押し込めた幼い自分を取り戻してみる作業です。
今回は「過去の家族関係を見つめ直す」
おかーさんとの思い出を振り返る。
おとーさんとの思い出を振り返る。
印象的な出来事はありましたか?
まずは母。
わたしはこのじっちゃんの本を読み、ワークをしてみて、このnoteに母との思い出を書き出したりしてみて、母への気持ちが全く変わっていきました。
1回目のnoteに書いたように、つい最近までわたしにとっての母は、もう三十三回忌も済んだというのにずっとしんどい存在でした。
憎み、恨み、嫌い、諦め。そのネガティブな力で生きているかのようでした。
本に戻りましょう。
この章ではたくさんの母/父と子の関係をモデルケースとして記してあります。
感情的で振り回されたり
我慢しなさいとシャットアウトしたり
過干渉で選択肢を与えないのにあなたのためだと押し付けたり
大人になりきれず子供に依存したり
子供に興味を示さなかったり。
わあ、全部当てはまるよ。
でもそれ以上に、母としてのわたしに当てはまるよ。やばいやばいどうしよう。
そうやって自分いじめになりそうだったのですが、不思議と母に対してはなんとも思いませんでした。
だってしょうがなかったよ。
おかーさんは体弱かったし。いつも何かで忙しくしていたし。
そう思える自分が不思議。
本と一緒に、愛されていたことをじっくり探してみた結果かもしれません。
そしたら、わたしも相当なことされたオカンだったのにこんなに大好きなのだから、子に愛されてるよなぁ…と気が楽に。
おきらくごくらく。
さて、親とはおかーさんだけではありませんねえ。
父も居ますよねえ。
わたしはファザコンです。どうしようもなくファザコンです。
母の生前、父は寡黙でぶすっとしている怖い存在でした。
釣りにでかけては庭で魚をさばいたり飼っていた亀をたわしで磨いていたりオニヤンマを捕まえて毛糸でくくり庭に何十匹も飛ばしていたり車を分解してなんかしてたり山ほど漫画を読んだりプラモデルを作ったり絵を描いたり町内の祭りで歌を歌って優勝して賞金もらってきたり酔っ払ってテレビのお笑い見て笑ってたり碁の本をひたすら読み込んでいたり。多趣味なひとでした。
ちいさなころは休みのたびにそばにいてくれたけれど、話しかけてもぶすっとしているし、あまり話をした記憶はありません。
わたしは父に関しては、良い子を気取るだけでした。
とにかく父の良い子でいたい。
ジャンプやサンデーや漫画や池波正太郎や時代小説もおとうさんと話ができるから。
図書館で車の図鑑を借りてきてこれ教えてー説明してーってやったこともあった。
良い子にしてるよ
だいじょうぶだよ
心配いらないよ。
そんな話しかしていません。
父は母の葬儀ではずっと泣いていました。
しずかにしずかに泣いていました。
「息子が泣くから」と弟のせいにしていました。
父と弟はあほみたいに号泣して涙と鼻水にまみれていたので、わたしは泣けませんでした。
その日以来、父を弟を守らなければ、となったように思います。
迷惑をかけてはいけない。
我慢しなければならない。
社会を敵とみなし、近づく輩には炎を吐き、決して誰も近づけない。家をとぐろ巻いて守るドラゴンのようでした。
根本のじいちゃんの本には続いて、
「反抗期はありましたか?」
「家族にどんな言葉をかけられていましたか?」
とあります。
父にかけてもらった言葉は
「大丈夫」
「お前は賢い子や」
「お前ならできる」
「お父さんはお前が娘で嬉しい」
こんなにいい言葉をもらっているのに、わたしは不満でした。
忙しそうだから我慢してるだけなのに。
もっと話を聞いてもらいたいの我慢してるのに。
わたしさびしいのに。
どうしてお父さんはわかってくれないのだろう。
わたしはこんなことを言って欲しいのではないのに。
当時のわたしは、これが父がわたしにくれた最上の愛だと思いもせずに不満を溜め込んでおりました。
のちにわたしはいろんなブログや本などでこう知ります。
「男性とは、女性が望むことを叶えることで喜びを感じるいきものです。
そして、男性には女性と違って察する力はありません。」
父は、わたしの普段の言動や行動から、娘が喜ぶであろう言葉を与えてくれていたのです。
わたしが隠し持っていた
「さみしい」
「しんどい」
「甘えたい」
「かまってほしい」
そんな本心を解放していれば、そーかそーか、悪かったなぁ、となどといいながら頭をわしわしと撫でたりして、叶えてくれたに違いありません。
普段のわたしの戦闘的な、ガンガンがむしゃらに突き進んでゆく姿を見て、こんな言葉なら娘は喜ぶだろうという選択をして声をかけてくれたのです。
あいたいなあ。どうしてるんかなあ。
おとうちゃんへの愛が溢れるままに今回はこれにてお仕舞い。
読んでくださったあなたが、おとうちゃんとおかあちゃん、それに相当する存在に甘くくすぐったい気持ちをたくさんもらったことを思い出しそれを愉しまれますように。
ありがとうございました。