【週刊じぶんケア】月の満ち欠けと四季、女のからだは呼応する。自分自身にチューニングを合わせる、の巻。
みなさまおこんにちは、
自分責めの毎日からわたし大好きがあたりまえな毎日を。
あなたのドーパミン、
心理カウンセラーのイチカ✳︎ドーパミントです。
ブログにお越しくださってありがとうございます。
カフェが好きだ。
すわり心地の良い椅子で、ボサノヴァを聴きながらおいしいコーヒーを飲む。
コーヒーを載せたトレイをそうっと、やわらかにふんわりとテーブルに置いてくれる従業員さんはかならず
「ごゆっくりどうぞ」とにっこりしながらわたしの目を見てくれる。
ありがとう、と自然とこちらも笑みが生まれる。
こちらのお店に来てよかったなあ、コーヒーもおいしいなあ、としあわせを感じまくる。
一方、トレイをがっちゃん、と置くひともいる。
そういったひとはこちらを一瞥もしないか、あるいは慇懃無礼だ。
カウンセラーとしてはこういうひとの背景が気になるし、いろいろとおもんぱかる気持ちを持とうとしてきたけれど。
それをするにはエネルギーがたくさんいることに気づいた。
勉強時間でもないのに無理して使うエネルギー、もったいないなあ、と思う。
そんなわけで、
(なにあれ、気分わるいわ〜。)
最近は、これで済ます。
おかげでイチカさんという肉体とたましいのバッテリーの持ちは、実に良好である。
ひさあしぶりに、梅田に出てきた。
ミナミカワチに住むわたしのような人間にとって梅田とは、
お上品で穢れなく、とても美しいまちだ。
我々ミナミカワチ人はいまだ横穴式住居に住まい、土器をつくり祭祀には火を使い、河内湖で貝、生駒山地の森でどんぐりなどを採取して生活をしている。
使うのはもちろん石器である。
真っ昼間からよっぱらいが道路に寝転がり、その禿頭を所在なさげに競馬新聞で仰いでいる別のおっさんがいる。
ピンクのセーラー服を着て金髪の三つ編みおさげを2本ぶら下げた、すばらしく美脚で歩き方立居振る舞いも美しいおっさんもいる。
そんなわけで梅田に出てくると、道を歩いているひとびとが全員マトモなことにびっくりする。
いかに自分が穢れているかを知ることができる。
まったくミナミカワチはけしからんわね!
わたしは梅田で浄化されるのだ。
(この大阪的様式美はみなさんにご理解いただけるであろうか。わたしはどこよりもミナミカワチをこよなく愛している、と書いております。)
というわけで血のつながらない姉に勧めてもらい、ともにバリニーズエステに来た。
ムーンリズムセラピー。
いままさにタントラで学んでいることとおんなじで、これは受けねばならぬとときめいた。
(タントラとは、とてもむずかしい思想なのだけれどもごくごく簡単に言うと、女性性を解放して生きること。)
月の満ち欠けに応じ、女性のからだは変化する。
新月は春
上弦は夏
満月は秋
下弦は冬
たったひと月で生と死を経験する。
やわらかに萌え出ずみ、
両手を広げて太陽の光を浴びいのちを生き、
たくわえた養分を種子に変え、
暗い大地に戻ってゆく。
毎日たくさんの細胞が生まれて死んでいくけれど、ひとはそれを実感することはほとんどない。
忙しい現代に生きるわれわれは、生死を感じることから遠ざかるほうが効率がいいからだ。
いちいちよろこんだり、かなしんだりすることは、スムーズな経済活動と相反する。
(関連記事:長年飲んでいたピルをやめてからのこころの動きの変化)
社会に、
子供に、
恋人に合わせていたこのからだ。
必要に応じて合わせるのならそれは素晴らしい手練手管なのだけれど、
どうにも、自分の手に戻してやることはむずかしい。
自分に自分を合わせていくことはむずかしい…。
といったわけで、ムーンリズムセラピーのちからを借りるのである。
実際の月の満ち欠けと呼応したエッセンシャルオイルを使い、
からだの一部にフォーカスし、
全体をととのえて、自分と一体化して終わる。
生理開始の週は、ほんとうならば下弦を受けるのがいいのだろうけれど、
そのうちからだが月のリズムと合っていくのかもしれないし、閉経して自由に受けられるようになるかもしれない。
少しずつチューニングしていくのもまた愉し。
それにしても、癒されすぎて日常に戻るのがつらい。
ゆっくりとふたたび、わたしの愛すべき混沌たる住処にこころとからだを馴染ませていくこととしよう。
あなたもどうぞ、あなたそのままに。
社会やよそさまに合わせる手練手管を使ったならば、そんなご自分を称賛してほしい。
わたしもそうすることにする。
わたしえらいしすごい。よぉやってる。ああ働きたくない。出勤して偉い。
今日もおつきあいくださってありがとうございました。
すてきな今日をお過ごしください。
イチカ、あなたのドーパミンより。