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津野米咲さんは、消えない。

さよならなんて簡単な
言葉に詰まるのはなぜ。



月曜日。
仕事終わりの電車の中。
Twitterを見て震えた。

大好きなアーティストさんだった。
津野米咲さんが、亡くなった。

若い人が亡くなった、というニュースを聞くたび、心がザラつくのに。

大好きで、何度も楽曲を聴いていて、応援していた人が亡くなってしまったというのは、ちょっと言葉にならない。

未だに信じられなくて、また津野さんの新しい音楽を聴けるんじゃないかと思っている自分がいる。


赤い公園を知ったのは、東京事変が解散する前年の冬。2011年のことだったと思う。

東京事変が解散するけど、最後のライブの抽選に外れてしまって、それならば事変が出るフェスに行こうとBMIだったかどこかのレーベルが主催していた冬のフェスに行ったのがきっかけだった。

いわゆる前座というやつで、赤い公園が数曲演奏していたのだ。

白い衣装をまとって、赤いライトの中。
同い年、近い年の人たちが演奏していた。
このときはまだハマらなかったのだけど、耳と記憶に残る演奏で、赤い公園のことはしばらく気になる存在だった。



それから2年経ち、2014年。
新しいアルバムをきっかけに、赤い公園にどハマリした。
それまで出ていたシングル、アルバム全部聴いて、津野さんのつくる曲の構成の面白さ、歌詞の深さと面白さにハマった。

ピアノで作った曲をギターで弾いちゃうとか。
人として「こう生きたらいいんじゃない?」って教えてくれるような津野さんの人柄が垣間見える歌詞とか。
心の中の言葉にならない部分を全部詰め込んだような激しさを持った楽曲とか。

ボーカルのチアキさんがいなくなって、石野理子さんが加入して。新しい赤い公園も、これまでの良さを失わずに新しい良さを持っていて、大好きだった。



この記事を書いている今も、やっぱり全然信じられない。





さよならなんて簡単な 言葉に詰まるのはなぜ
終わらせたっていいけど 終わらせるなら今だけど




どんな気持ちで、津野さんはこの歌詞を書いていたんだろう。今となっては誰も知ることはできないのだけど。



少なくとも、津野さんの楽曲は残っていて、今も私のApple Musicの中に入っていて。

津野米咲さんは、私が死ぬまで、私の心と耳と頭の中で消えない。



津野さん。たくさんの楽曲を残してくれて、本当にありがとうございました。

津野さんの作る曲が大好きでした。
これからも自分の人生の紆余曲折とともに、津野さんの曲を聴いていきたいと思います。

本当に、本当に、ありがとうございました。

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市岡光子|物語を紡ぐストーリーテラー ✍ ライター・編集
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