永瀬拓矢二冠と泉正樹八段のエピソード
エピソードの前にこの記事を書こうと思ったきっかけの将棋世界の話を少し。
将棋世界の「還暦獣」先生の文章がとても良かった
今月の将棋世界(2020年10月号)の「還暦獣」先生の叡王戦の観戦記、とても良かったなぁ。ニコ生の放送のときに言ってたから言っていいと思うけど「還暦獣」=泉正樹八段です。来年1月11日の誕生日で60歳。あだ名は「野獣」。それで「還暦獣」なんですね。
永瀬二冠の一ファンの私は、観戦記から愛情を感じました。和服のこととか棋風のこととか一部ではまあいろいろ言われてるわけだけど(私は全スルーしてるけど)、この観戦記ではとても肯定的に書かれていて、「ああ、味方はいるんだなぁ」とうれしく頼もしく思いました。一部引用させていただきます。
(和服からスーツに着替えたことについて)
この永瀬戦術、前局でも用いていたが、思ってもなかなかできることじゃない。勝負に徹していればこそだから賛否してはいけない。全魂で挑んでくるのがよくわかる。
あと細かいところかもしれないけど(永瀬二冠から見て)「持将棋にした」ではなくて「持将棋で逃げられた」と書いているところとかもいいなぁと思う。豊島竜王の勝負の巧みさも感じられて。
泉先生の文章本当におもしろいのでおすすめです。未読の方はぜひ読んでみてください。
さて、そんな泉先生と永瀬二冠は実は昔研究会をやっていた間柄でおもしろいエピソードやぐっとくるエピソードがたくさんあるんです。紹介したいと思います。
永瀬先生と泉先生のエピソード
◇永瀬先生14歳(初段)のときに三段の先輩に連れられて泉先生の研究会に行った。
永瀬先生「プロ棋士の方に教わるというのは初めてだったので、大先輩と一緒に居られる有意義な時間でした」
◇泉先生の観戦記にて(将棋世界2019年6月号)
努力は実を結びトントン拍子に三段に上がった時、ある相談を受けた。「高校に進学すべきか悩んでいます」。一刻も早く四段になりたい気持ちが手に取るようにわかっていたので、「いまは皆行くけど、昔は中卒が普通だったよ。それに棋士になってからでも行けるし、独学でもいいんじゃない」てなことを言った。すると食べていた箸(たぶん焼肉)を止め、「ありがとうございます」。次第に目が輝いてきたのを覚えている。
◇永瀬先生14~16歳のころから1年半ほど泉先生と研究会をしていた(泉先生は14、5歳、永瀬先生は16歳くらいからと答えている)
◇永瀬先生の研究会に行くまでの話
当時は横浜に住んでいたので、埼玉にある泉先生のご自宅までは2時間強くらいかかるんです。朝10時開始くらいだったんですけど、9時には絶対に最寄り駅に着くようにして。研究会が楽しみで心躍らせながら、駅で10時前になるまでずっと立って待つという…(笑)。16、17歳くらいだと、まだ喫茶店にひとりで入るというのも、なぜか恥ずかしく感じる年ごろだったんですよね
◇研究会で永瀬先生がちょっと席を外したときに泉先生の愛犬エルちゃんが永瀬先生の席に座ってて、永瀬先生「エルちゃんごめんね、僕時間ないからどいてくれる?」
泉先生「だからいい子なんだよね、永瀬くんはね」
◇寿司屋で、泉先生「しょうゆは戻せないから、少しだけ出しなさい。使う分だけ入れなさい」
永瀬先生「今も周りの方に不思議がられるくらい、少ししか出さないです」
◇永瀬先生「泉先生の奥様に豚肉はちゃんと焼かないとだめだと教わりました」
◇永瀬先生「研究会に誘っていただいたのは深浦先生と泉先生だけ」
◇泉先生の観戦記にて「永瀬の場合、将棋を休むなどというのは必要なく、ドップリと将棋の風呂に浸かっていないと凍えてしまうのかもしれない」
◇泉先生「永瀬くんはね、将棋以外はすごくいい子。軍曹とか言われてるけどなんでかわかんないね。僕にとってはとにかくね14、5歳の頃から変わってない。本当に少年のまんま。すごい純粋だしね」
いかがでしょう?ある意味師弟のような親子のような良い関係ですね。エピソードを知ってから「還暦獣」先生の文章を読むとまたおもしろいと思います。
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