お盆だから、ひいおばあちゃんのお話
私が覚えている母方のひいおばあちゃんの記憶は、幼稚園児くらいが最後だ。おばあちゃんの家に遊びに行くと、母家から繋がった奥の方の離れに、ひいおばあちゃんが寝ていた。暗くて、お仏壇が近くにあったような気がする。部屋に行くまでの途中の廊下が、ちょっとたわんでいて、なんだか違う世界に足を踏み入れるような、現実とは地続きじゃないようなそんな気がしてちょっと怖かった。とにかく離れは暗かった。
祖母は料理の仕事をしていてずーっと働いていたらしい。そのせいもあって、4兄弟の末っ子である母は「おばあちゃん子」だと公言して憚らなかった。母と一緒に離れに行くと、まず母が
「おばあちゃん、ひとみを連れてきたよ。」という。
ひいおばあちゃんは
「えみちゃんか、きてくれてありがとう。ひとみちゃんあめ食べるか?」
といって、寝たままごそごそと布団から手を出して近くのお盆から黒飴か塩飴をくれる。
あんまり好きじゃないんだよな、黒飴も塩飴も。
そんなことを思いながらも、
「ひいばあちゃんありがとう!」
といってもらって、帰りの車の中であまり美味しくないなーと思いながら食べていた。
今調べたら、ひいおばあちゃんは私が6歳の時に93歳で亡くなっている。名前はおいとさん。いい名前だな。
母曰く、とても信心深い人だったそうで、いつもお寺のご法話を聞きに出かけていたそう。母方の旦那寺さんは、浄土真宗大谷派。西播磨の方は、真宗の御門徒さんも多い。確かに「なんまんだぶなんまんだぶ」と念仏を唱えるひいおばあちゃんの声を覚えている。
母が結婚して、既に亡くなっていた父の叔父が経営していた元旅館を譲り受け、若い新婚夫婦で大きな家に住むことになった時も、お仏壇やそのあたりのことをおいとさんがやってくれたということを聞いた。父方の方は真言宗御室派なので、一生懸命に色々調べていろんな手配をしていたんだろうなーということは想像がつく。
少し、色々と敏感なところもあったようで、お隣さんの土地を見て
「おりんさまが怒っている」
と言ってたそうだ。お隣さんは、不幸が続く家でなんと3回くらい火事で燃えている。
私が結婚した後の火事は相当大きかったようで、遠くの方から火事の様子を見た人は皆うちが燃えていると思ったほど大きな炎が出たようだ。でも、そんな大きな家事があっても、うちは全く害がなかった。
弟が地元の消防団に入っていたこともあり、お隣さんが燃え盛る中でうちの家が燃えないように消防団の有志達がずっと家に水をかけてくれてそう。
有難い人々と、神仏の御加護のお蔭か、今も両親は元気に暮らしている。
おりんさまとは一体誰なのか。
おいとさんに会えるならぜひ聞いてみたい。