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『椎名林檎論 乱丁の音楽』感想 音楽を「演奏される総合芸術」として捉える刺激的な批評
■「音楽批評」と「椎名林檎」
この本はシンガーソングライターで言わずとしれた存在である、椎名林檎について綴った批評本である。
この本は2つの課題に挑戦している。
1つは音楽批評というスタイルについてだ。既存の音楽批評は、歌詞や時代背景など、その要素を構成する要素の一部分や、それとは別の次元で語られることが多かった。
しかしこの本では、そうではなく音楽を歌や楽器の演奏そのものに(も)フォーカスし、音楽を演奏される総合芸術として捉え、考察を行っている。
もう1つは、椎名林檎への批評の存在の不足に対してである。1998年デビューしてから数年間の彼女は、雑誌のインタビューをはじめメディアに多く登場し、それに付随してその彼女のセンセーショナルな存在について数多の語りが生産された。
しかし、ある時期以降その露出はデビュー当初に比べると控えられるようになった。その結果、彼女に対する批評の語りの不足という状態がずっと続いている。
この本は、そんな2つの状況に対するカウンターとして書かれたものである。
■楽曲・演奏中心の音楽批評
実際にこの本は、1stアルバム『無罪モラトリアム』の1曲目『正しい街』から始まり、楽曲を歌詞の分析及びその歌詞の音への乗せ方、韻の踏み方、その構造、もしくは椎名林檎の歌唱法など多角的な面からのアプローチを試みてる。東京事変の楽曲も参照しており、各プレイヤーの演奏についても分析を試みている。
その中でも印象に残ったのは初期の楽曲『丸の内サディスティック』『歌舞伎町の女王』や、東京事変の代表曲の1つである『能動的三分間』やその曲が収録されたアルバム『スポーツ』について論じた章であろう。
『スポーツ』の肉体的な演奏のアルバムだというイメージが、どのようにそれが印象付けられているかを意外に思った人も読んでいる人には多かったのではないだろうか。
著者が掲げた「実践的な演奏批評」という試みは成功と言えるのではないだろうか。著者自身もバンドでの演奏経験があるとのことだが、この本はそんな経験がある人間ならではの批評が行われている。