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その首輪、外せるよ



「支配」にはパズルのピースほどにいろいろな形があると知った24歳の夏。新品の制服に袖を通したわたしは、社会の厳しさに冷や汗をこぼした。



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もうすぐ今の仕事について2年の月日が経つ。先輩に言われるまでさっぱり忘れてたけどね、わーい。

新卒で入った会社が見事な漆黒だったから、今の会社は福利厚生をはじめとするある程度の「社会的なスタンダード」が備わっているのが嬉しい。多少は不便なこともあるけれど、身体を壊すほどに精神を病むこともなければ、誰かのちょっとした言葉に涙がとまらなくなることもない。

穏やかだなぁと思いつつも、入った当初から強烈に悩まされていることがひとつだけあった。ある取引先の担当さんとの関係だ。

その人に、たぶんわたしは劇的に嫌われている。

自分の目線からばかり話をするのは公平性を欠くと承知はしているのだけど、ここはわたしだけの場所だから素直に書いちゃうね。

正直なぜここまで嫌われているのかはわからなかった。わたしが何かしてしまったのか、はたまた生理的に無理なのか、もしかすると前世で曰く付きの関係だったんじゃないか、と思うほどにはっきりとした「敵意」らしいものを向けられていると思う。

人からのあけすけな攻撃性って、こんなに疲弊するのね。そう他人事見たく思えるうちはよかったけど、そうも言っていられなくなっていた。

メンタルが弱いと自分でも思うのだけど、その人から電話がかかってくるだけでわたしは心臓を跳ねさせ、どうかわたし宛の電話じゃありませんように、と祈ることしかできなかった。

まるで「首」と名の付く場所すべてを鎖で繋がれたみたいに、その人を前にするとわたしは手足がしびれて動くことができなくなった。




そんな日々が約一年くらい続き、今はどうかというと、結論から言えば「状況はひとつも変わっていない」。なんだかんだとお仕事だからね、簡単にどうにかできるものではない。

でもわたしの心境は少しずつ変わってきているので、今日はそれを書き残しておきたいと思って筆をとった。

完全に支配されていた一年を終えて、わたしは亀のごときスピードだけれど仕事ができるようになってきた。もう大抵のことが先輩に聞かなくてもできるルーチンワークと化してきて、心に余裕が生まれ始める。

さらにわたしには後輩ができ、しっかりしなくてはいけないという意識が出てきた。もともとそれほどできる人間ではないので、頼られるということがとても嬉しい。期待に応えられるということがもっと嬉しい。心に暖かさが戻ってくる。

大きな環境の変化はひとつもなかった。だけどわたしの内側は少しずつ、水に絵の具を混ぜるみたいに薄く色づき、華やかになっていく。

そうすると、苦手な相手の前で焦ることがなくなった。それに慣れると、自分の言いたいことがちょっぴりだけ言えるようになった。そして、わたしは相手の機嫌をとるための会話ではなく、仕事相手として対等なやりとりをするすべを考えられるようになった。

手首の枷が外れ、足首の枷が外れていくように、内面の変化は行動の変化へと結びついていく。そうしてはじめて、「自分は支配されていたんだ」と気がついた。

その人を前にすると、うまく話せない、笑えない、何なら目すら見られない。これは完全な支配だった。上司が部下にするような、教師が生徒にするような、形式的な支配とは似て非なるもの。見えない鎖で心をつなぐ、人の尊厳を損なわせる支配だ。

だけどその呪いのような支配は、何も勇者の訪れを待たなくても解けることがある。日々の小さな変化たちが今のわたしを作ってくれたように、その積み重ねが本来の自分を取り戻してくれた。嫌なことは嫌、間違っていることは間違っていると言える、そういう自分を。

あぁ、世の中にはそういうこともあるんだなぁ、でも曖昧にしていたら吹いて飛びそうだなぁ、と思うから、自戒も込めて書き残しておく。そういう実感のひとつひとつを大切にとっておいて、わたしは優しくて賢い人になりたい。




補足になりますが、今回は長い時間をかけて内面と行動が改善されたけれど、そうならない場合もいくらでもあります。わたしはそれが前職で痛いほどに身に沁みています。

自分の心を優先するべきです、何よりも。耐えられる→改善される へ転じる苦労はいいけれど、耐えられる→いつか壊れる と思ったら迷わずアクションした方がいい。絶対って言葉を使うのは臆病な自分には荷が重いけど、これに関しては確信をもってそう思う。



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決して自分を諦めてはいけない、だけど誰しもがそうなってしまう可能性がある。そう思いながら書いた短編小説です。





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