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こころほどき、の

「十一月のおやつ、って聞くと、『今日は霜月、お朔日』って言いながら、おばあちゃんが出してくれたクッキーを思い出すの」
 秋もいよいよラストスパート、最後に咲いていた金木犀の香も過ぎ、路に舞い散る木の葉だけがかしましい。葉が化けて客になってくれたらいいのに、とぼやきたくもなるくらい客足も少ないこの喫茶店だが──なんと今日は、初顔のお客さまというめずらしい来訪者。
 ここのところ世事に頭を抱えることが多かったせいか、街の誰彼とも違う、まるで見知らぬお客さまとの他愛ない世間話にほっとしている自分がいる。そのさなかに鳩時計が告げた三時のしらせに、お客さまは幼いころのおやつの話を聞かせてくれた。
「ほとんど甘さが感じられなくてそっけない味の、堅焼きにされたクッキーで……蜂蜜をたっぷり溶かしたホットミルクがないと、すこし食べづらかった、かな。おまけに、さっと見たかんじはフィンガービスケットみたいなのだけど、よくよく見てみたら──棒から不自然に、四角がはみ出していてね」
「ファンタジー小説に出てくるような昔の鍵、みたいな?」
「そうそう!」
 ──そのあと、お客さまが語ってくれた昔話は、どこか不思議で、それでいて……なんだろう、うまく言葉にならないな、と思った矢先、オープンの電子音がさらに言葉を奪っていった。
「……あの、フィンガービスケットによく似た、不思議なかたちのクッキーの話を聞かせていただいたあとで恐縮なんですが」
 焼きたて熱々のそれを、ホットミルクに添えて出す。
「うちも、きょうのおやつがこれでして」
 白い皿の端に申し訳程度に添えたクリーム色のフィンガービスケットを、お客さまはじいっと見つめて──心底からホッとしたような笑みを浮かべた。
「ねえ、店主さん。私はね、おやつはただ、おやつとして在ればいいと思うの。そこに何の寓話もない、他愛ないおやつがいちばんいいわ」
「そういうもんですか」
 謎かけみたいなお菓子も、それはそれで面白いとは思うけど……できればウチでもやってみたいかも、などと考えごとに沈みかけた、そのとき。
「すみません、ミニアップルパイとスイートポテトも追加でお願いします」
 お客さまはすこし恥ずかしそうに、オーダーを入れてくれた。
 この店の秋だけの逸品です、とひとこと添えて出した一皿を、お客さまは──ゆったりとたのしそうに口に運んでくれる。シナモンもバターも惜しんではいない、とはいえ、こうまでゆるやかにほどけた笑みを浮かべて、無心にただ、美味しそうに食べてくれるのは……
(おばあさんとのおやつの思い出が、お客さまにとってはどこからか……ただ、なつかしくたのしいだけの記憶でなくなってしまったのかもしれない)
 だがそれも、こちらの勝手な想像でしかない、と胸にしまって。
「それで、このあとはどちらに向かわれるんですか?」
 とだけ、問いかける。
「それなんですけれどね……最初はここでお茶をいただいたら、また別の街に行こうかとも思っていたんですけど、この街に来てからまだ見てないところがあるなあ、とか、どちらに行こうか迷ったせいで行きそびれている場所もあるなあ、と──だから……すくなくとも十一月のあいだは、この街でしばらくフラフラしてみようかな、って思っているんです」
 お客さまの、なんだかさっぱりした表情がわけもなくうれしくて、
「そうですか……それでしたらまた、うちに寄ってください」
 別のおやつを用意してお待ちしています、とつけ加えると、
「ええと……うん、また、このフィンガービスケットに会えたらうれしい、です」
 お客さまも、はにかみながら答えてくれる。
「素朴で甘くて、さくっと美味しくて、こころがほどけるほどなつかしくていとおしい──おやつはやっぱりこうでなくちゃ、ね」

                     #ノベルバー  Day15 おやつ

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