想うは、ただ
「……あれ」
進路指導の名目で教師にがなり立てられたせいで、将来へのぼんやりとした不安や希望をぶら下げながら、いつにも増してのぼんやり歩きの下校途中。さびれた神社の境内に、いつもはない提灯がぽつり、ぽつりと灯されているのに気がついた。
枯れかけてくたびれた杉の木に囲まれた古い社はなんとなく近づきがたく、いつもはそそくさと前を通り過ぎるのだが、今日はいつもと違うぞ、と足を踏み入れてみる。
提灯と、屋台や露店を出しているひとたちがいるだけで、ずいぶん活気があるように見えてしまう。けれど、もっとよく見てみれば──祭り囃子も、屋台からの食欲をかき立てる匂いもない。
でも、これってお祭りだよな、と、さらに境内の奥へと向かう途中──ぽそり、と歌う声が聞こえてきた。
花に託すは恋の思い出
揺れ惑っても消せない記憶……
ゲームのなかで吟遊詩人が使うようなハープを抱えて歌うそのひとは、青色のパーカーのフードをほとんど目隠しのように深く被っていて、年齢どころか性別も分からない。おまけに低めの歌声も、男とも女とも、どちらともとれそうにしか聞こえなかった。それ以上に他の店と比べても、不思議めいた雰囲気を醸し出していたのは──そのひとの前に置かれたちいさな机に並べられた、すらりと長い瓶の群。提灯と、机の片隅のレトロなランプの光に照らされた瓶の、アンティークっぽいシルエットに惹かれ、もっと見てみようと近づけば、瓶のなかではひらひらと、花びらが水にたゆたっていた。
赤にピンク、黄色に白。
十一月の夜気のなか、じりじり油を焦がしているランプの熱っぽい灯りのしたで、その色もまた、すこしだけ浮かれたようにあかるく見えた。
「あの、これは……」
「水中花さね」
若いおひとは知らんでしょうが、と、作りものめかせた爺むさい答えをひとつ返し、そのひとはハープをぽろり、ぽろりとつま弾き、うたう。
涙にくれた恋なれど
想いなしでは枯れゆくばかり……
「届かぬ想いにか、あるいは恋人のつれなさに、か。涙にまみれた恋ならば、捨てっちまえば楽だろうに──このこたちはそれもできず、泣きながらもたったひとつの恋を抱え続けて……とうとう花になってしまった」
目の前にいる客、の僕にではなく、その向こう──いや、この神社の境内なんかより、もっとずっと遠くに向かって、そのひとは話しかけているように聞こえた。
「あの、じゃあこの、瓶のなかの花って……もとは、えっと」
「恋するこ、だったものたちさ。瓶のなか、かつての涙に包まれて、花影ゆらゆら揺らせる姿からは、花になる前があったことなんて、誰も想像できないだろうけど」
ぽつん、とまた、そのひとがハープをつま弾くなか。
「いえ、分かるような気がします」
僕はなぜかムキになって、けんか腰でそのひとに突っかかってしまった。
「たとえばこの、赤い水中花は──……」
いちばん目についた水中花の瓶を、僕は手に取るなり、そのひとの目の前にかざす。そのまま僕は──この花の少女は、赤いリボンがよく似合って、あかるくはなやかなのに、恋しいひとにはついいじわるなことを言ってしまって、あとになってひとり泣く──そう、僕が受けた印象を、そのまま語ろうとした。
けれど、僕はそれができなかった。
ランプのもと、手にした瓶をちらりと見た僕は、気がついてしまった。
花びらの赤は僕の手のなか、くらくしずんでいる。そして、そっぽを向いたような花影は、全身で僕に語りかけていた。
──……あんたに何が分かるっていうの。
「……すみません。本命のひとじゃなければ、いや、みたいで──……」
水中でしか咲けぬ花になろうとも、零か百しかないと言い切る明快な拒絶。あんまりきっぱりした花の姿を前に、僕はそそくさと瓶を置き、うなだれたまま背を向けてしまった。
それでも放せぬ恋ひとつ
抱えて咲くが我が宿世……
ぽつりと囁くような声なのに、いつまでも耳から離れない歌。それは、食べものの匂いもひとの気配もいっこうにたちこめてこない、十一月の祭の宵の底でそうっと響き──僕のなかに瓶のなか咲く水中花の、赤い花びらの残影をきりりと根深く焼きつけていた。
……あの十一月の夜を境に、僕は祭と名のつくものに足を踏み入れるたび、水中花の瓶をずらりと並べ、ハープを抱えてうたうそのひとの姿を、それ以上に、あの赤い花びらの水中花を露店や屋台が並ぶさなかに探してしまうようになった。
それからだいぶん経ち、一度は伸びた背も、ずいぶん曲がってきたいまになっても──今年の祭でも未だ、かれらにふたたびめぐり逢うときは、訪れていない。
#ノベルバー Day10 水中花