雑貨店にて
──つい十数分前まで、軒下で雨宿りをしながら昔語りを聞いていたのが嘘みたいだ。
雷雨一過の快晴のもとをしばし歩き、コウは雑貨屋に辿り着いた。
西の港と南の港との、ちょうど真ん中にある木造のその店は、『雑貨取扱』と右から左に読む看板は掲げているものの、緑と黄色の縞模様の庇はとうに褪せてすすけていて、最初は空き家なのかとコウは思った。しかし見ていると、ちらりほらりながら人の出入りもあるし、木枠に曇り硝子が嵌められた引き戸の向こうからは、かすかながら、ぱちぱちと何かが鳴る音がしている。
──ゼイタクさえ言わなけりゃ、何かしらあるだろ。
せめて今夜の食事なんとかなれば御の字、と、引き戸の向こうに身をくぐらせたコウは文字通り目をおおきく丸く見張っていた。
コウの目線の高さの位置で揃っている木棚には埃ひとつなく、日にさらされて色焼けした商品はひとつとして並んでもいない。それどころか、いったいどこから仕入れたのか、と聞いてしまいたくなるほど、パッケージがあざやかな品が取りそろえられていた。あれこれ目移りしながら、コウはショウケースから赤と青のラベルに、白抜きの文字と泡とがあざやかな炭酸水の瓶を取り出し、今度はレジを探してきょろきょろ見回す。
「お会計ならこっちだよ」
引き戸から五歩下がった位置に据えられた、重厚な机の前に腰を下ろしている老婦人に声をかけられた。歳月がきっちりと刻んだ皺に抗っている、眼鏡の奥、まばたきしたらぱちぱちと音のしそうな白い睫毛にいろどられた目の光が印象的な彼女は、卓上に据えた分厚い板に指を向けては、しきりに上下左右に動かしている。先刻から店内に満ちている、ぱちぱちと鳴り響いていたのは、彼女が繰るそろばんの音だったのか、とコウはようやく合点がいった。
予想より硬貨が二枚多かったお代を支払い、どうやら外国製とおぼしき炭酸水の瓶をコウは勢いよく傾ける。
──ぱちぱち。
泡のくっきりと多い炭酸水に、コウは噎せ返った。そんなコウをちら、と老婦人は一瞥すると、また帳簿を横目にそろばんへ指を向ける。
「はー……キツかったー……」
炭酸の刺激がようやくおさまったところで、コウはあらためて、店内に居並ぶ品々をひとつひとつ仔細に見て回る。
南の港に近い棚には、見慣れたパッケージの菓子や生活用品に混ざり、色あざやかな紙に彩られた花火セットやばら売りの花火が箱に入れられ並べられている。
西の港に近い棚には、コウが手にした炭酸水の瓶ともどこか相通ずる、いずれの国や地域から取り寄せたかをひとつひとつ検分したくなるパッケージの酒や乾きものがほとんどだった。
ずいぶんきっぱり分かれてるな、と見回すコウの背中へと、
「西には昔、シオミツの端から抜けた先にも歓楽街が続いていてね。逆に南の港あたりは、遊びからはすっぱり足洗って里心をつけたモンが居着くところさ」
老婦人は動かす指を止めもせず話しかけてきた。
「この店は、港にやってくる船からから受け入れるもので、潮泊の他のどこにもゆけないひとのさびしさをささやかになぐさめて、同じだけ、潮泊を出てゆくひとに、海での日々がつつがなく過ごせるよう、これまでの日常をちょっと引き延ばしただけの品を置く。
そんなつもりでやってるはずが、いつの間にか、西と南にそれぞれ近い棚で置く品物の風合いが変わってって」
そこで老婦人は顔を上げ、コウに向かってにやりと方頬をあげてみせた。
「西に根を下ろすか南で暮らすか、ひとつを選べないどっちつかずが現れる。そんな優柔不断にどちらかひとつを選ばせようと、ここで女たちが一戦交えたりするようになったのも、まあこの店の宿命、ってやつかしらんね」
ぱちぱち。
老婦人の弾くそろばんの音に重なって、いつかの日、女たちが火花を散らしていた音が、このときコウの耳の奥でたしかに爆ぜていた。
2024年文披31題 Day9.ぱちぱち
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