あたたかな景色
港町を覆い尽くしそうな霧が立ちこめていたのが嘘のように、頭上には真っ青な空が広がっていた。雲ひとつない快晴に、僕は思わずぴゅうっ、と口笛を鳴らしてしまう。
あんなおそろしい思いをさせられた霧から抜け出して、僕はここにいる──ただそのことひとつだけで跳ねて駆け出したい気分になった僕は、その衝動のままに町へと勢いよく歩を踏み出していた。
街道に面して並んでいるカフェのテラス席では、船員さんたちがめいめいくつろいだ表情で朝ご飯を食べている。そのなかには──ぎこちなくパンをかじり、カフェ・オ・レをすすりながら次の言葉を探しているようなリシャールと、息子からかけられた言葉にどう答えようか、と構えているようなリシャールの父さんの姿もあった。
その五つ奥の席では、ムッシュ・ダロンドが黙々と食事をとっていたけれど──その傍らにあるのは、あの黒い木枠の額縁に納められた、あの『ル・ミラージ』を描いた絵だ。
ムッシュ・ダロンドの友だちが、たった一枚だけのこしていった絵。
昨夜の霧が描いた帆船の姿、そして汽笛の音を思い出して、一瞬足がすくむ。
そんな僕に、ふいに顔を上げたムッシュ・ダロンドが気づいたのか、額縁を手に近づいてきた。
「……ヤツの両親に返してくるよ、この絵は」
俺だけがヤツに寄り添える、ってばかりじゃないから──そう口にしていたムッシュ・ダロンドの視線の先にいる、リシャールと彼のお父さんを見て、僕もうん、と首を縦に振る。
──誰かが誰かに寄り添っている、そんな光景って……やっぱり、見ていてあたたかい。
そういうのって、いいな。
などと笑った瞬間、ものすごく悪目立ちするくしゃみをしてしまった。しかも五回も。
そういえばだいぶ、港を渡る海風がだんだん冷たさを増してきているな。
背筋がゾクゾクしてきて身を縮こめていると、ムッシュ・ダロンドが僕に手のひらを出すように言う。その通りにすると、ムッシュ・ダロンドはなんと三枚もの高額紙幣を僕に渡してくれた。
「この先を真っ直ぐ行って、信号を三つばかり過ぎたところに、最近できたばかりの若い者向けの服屋がある。吊しばかりだが、ものはそう悪くもなさそうだから──すこし厚手の外套を買ってくるといい」
すこし早いかもしれないが、クリスマスプレゼントだ。そっぽを向きながら呟いたムッシュ・ダロンドに、僕は深く深く、頭を下げていた。
#novelber 26.寄り添う
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